article

ドロップアウトからの成り上がり
Why I Run:Stories from Runners vol.3阿久澤隆さん 前編 Text:Shun Sato 「クール」「独特のカッコ良さ」「抜群の存在感」 そんな声がランナーから聞こえてくる。 高校生から市民ランナー、実業団の選手にまで愛されているブランドが「ELDORESO」だ。阿久澤隆さんは、そのオーナーであり、ランナーでもある。国士舘大学陸上部で箱根駅伝を目指しながらも大学3年の時にドロップアウトして、紆余曲折を経てブランドを立ち上げた。なぜ、ELDORESOはランナーに支持され、人気ブランドになったのか。そして、一度は走る世界から離れた阿久澤さんは、なぜ再び戻って来たのだろうか。 陸上の強豪校へ 「私立高校の受験に失敗したのが、陸上の始まりでした」 阿久澤さんは、苦笑交じりの表情で、そう語る。 「公立高校が本命だけど、自分の頭じゃ無理。その前の私立の滑り止めに落ちたので『やべぇ、どうしよう』と思って、担任の先生に相談したんです。僕はバスケ部だったんですけど、校内のマラソン大会では速い方だったので、『陸上が強いところがあるから聞いてみる』と言われて。しばらくして、勧められたのが桐生工業高校でした」 名門陸上部での試練 桐生工業高校は、群馬県でも有数の陸上強豪校で都大路を目指すガチンコの陸上部だった。阿久澤さんは陸上未経験だったが、入学に尽力してくれた先生への恩義もあり、入学後、陸上部に入った。 「陸上部は、個人で北関東大会に行けたりして、意外と楽しかったです。でも、みんな速すぎて駅伝チームには入れなかった。高2の時、チームが都大路で7位になったんですが、高3になったら先輩が卒業するし、レギュラーになれるかなと思ったんです。でも、一個下の諏訪(利成・現上武大監督)君に加え、1年生もみんな速くて結局1度も駅伝でレギュラーにはなれず、ずっと補欠でした」 大学3年でのドロップアウト 憧れの都大路は走れなかったが、大学では箱根駅伝を走りたいと思った。特待生ではなかったが、推薦で国士舘大学に進学した。 「高校では悔しい思いをしたので、大学では箱根を絶対に走るぞって思っていました。でも、入ったら陸上競技部の人数が多くて、僕ら1年生も30名ぐらいいたんです。全体では100名を超えていましたね。練習が始まると、みんなの実力が見えてくるじゃないですか。これはどう頑張っても予選会のメンバーには入れない。「俺の実力では箱根走れねぇーな」と分かったので、1年の途中から合コンしたり、クラブに行って遊ぶようになって。まぁどうしようもなかったですね(苦笑)」 トラックではなく、夜の街を走り回り、箱根駅伝予選会のメンバー入りは果てしなく遠くなっていった。 大学3年の夏休みに入る前、阿久澤さんは突然、陸上部を退部した。 「ダラダラと部活を続けていても意味ないと思っていたんですが、自己ベストにはこだわっていました。そのために練習して、夏前の中大記録会で14分52秒(5000m)の自己ベストを出せたんです。箱根は無理だけど、やり切った感がすごくあったので、そのままスパっと退部しました。陸上が嫌いになったわけじゃないですけど、やめた本当の理由は正直、今もよくわからないです(苦笑)」 寮を出ると下北沢に引っ越して、渋谷の神泉のラブホテルの清掃と洋服屋でアルバイトを始めた。ラブホテルの清掃係は外国人やオバさんたちを始め、人間が面白く、昼の空き時間はデザインを考えたり、ゲームができたりしたので、最高のバイトだった。 閉ざされた正社員への道 大学卒業後は、就職せずにラブホテルでバイトをしながら代官山にあるハリウッドランチマーケットでアルバイトを始めた。80年代から人気のブランドで、阿久澤さんはそこで海外からの商品を検品するなど商品管理の仕事をしていた。 「店はすごい人気で、仕事も楽しかった。ここの社員になってバイヤーになりたいと思ったので、半年に1回ある社員の試験を受けたんです。論文方式ですが、テーマが、『あなたにとって聖林公司(ハリウッドランチマーケットの運営会社)とは』『聖林公司であなたは何したいですか』『聖林公司で10年後、あなたは何をしていると思いますか』という感じでほぼ同じなんです。半年後に違うこと書いたら前に書いたことが嘘になるので、毎回同じようなことを書いていたら4回連続で落されて‥‥。もうガッカリでしたね」 阿久澤さんは、3年間働いたハリウッドランチマーケットを辞め、とらばーゆ(求人誌)で見つけたアパレル会社に就職した。2年ほど経過した時、大学時代の友人が文化服装学院に入り、「アパレルを一緒にやらないか」と声を掛けられた。「おもしろそうだな」と思い、仲間4人でアパレルブランドを設立した。就職した会社は3年間でやめ、ラブホテルを始め、3つのアルバイトを掛け持ちしながら夢を見た。...
ドロップアウトからの成り上がり
Why I Run:Stories from Runners vol.3阿久澤隆さん 前編 Text:Shun Sato 「クール」「独特のカッコ良さ」「抜群の存在感」 そんな声がランナーから聞こえてくる。 高校生から市民ランナー、実業団の選手にまで愛されているブランドが「ELDORESO」だ。阿久澤隆さんは、そのオーナーであり、ランナーでもある。国士舘大学陸上部で箱根駅伝を目指しながらも大学3年の時にドロップアウトして、紆余曲折を経てブランドを立ち上げた。なぜ、ELDORESOはランナーに支持され、人気ブランドになったのか。そして、一度は走る世界から離れた阿久澤さんは、なぜ再び戻って来たのだろうか。 陸上の強豪校へ 「私立高校の受験に失敗したのが、陸上の始まりでした」 阿久澤さんは、苦笑交じりの表情で、そう語る。 「公立高校が本命だけど、自分の頭じゃ無理。その前の私立の滑り止めに落ちたので『やべぇ、どうしよう』と思って、担任の先生に相談したんです。僕はバスケ部だったんですけど、校内のマラソン大会では速い方だったので、『陸上が強いところがあるから聞いてみる』と言われて。しばらくして、勧められたのが桐生工業高校でした」 名門陸上部での試練 桐生工業高校は、群馬県でも有数の陸上強豪校で都大路を目指すガチンコの陸上部だった。阿久澤さんは陸上未経験だったが、入学に尽力してくれた先生への恩義もあり、入学後、陸上部に入った。 「陸上部は、個人で北関東大会に行けたりして、意外と楽しかったです。でも、みんな速すぎて駅伝チームには入れなかった。高2の時、チームが都大路で7位になったんですが、高3になったら先輩が卒業するし、レギュラーになれるかなと思ったんです。でも、一個下の諏訪(利成・現上武大監督)君に加え、1年生もみんな速くて結局1度も駅伝でレギュラーにはなれず、ずっと補欠でした」 大学3年でのドロップアウト 憧れの都大路は走れなかったが、大学では箱根駅伝を走りたいと思った。特待生ではなかったが、推薦で国士舘大学に進学した。 「高校では悔しい思いをしたので、大学では箱根を絶対に走るぞって思っていました。でも、入ったら陸上競技部の人数が多くて、僕ら1年生も30名ぐらいいたんです。全体では100名を超えていましたね。練習が始まると、みんなの実力が見えてくるじゃないですか。これはどう頑張っても予選会のメンバーには入れない。「俺の実力では箱根走れねぇーな」と分かったので、1年の途中から合コンしたり、クラブに行って遊ぶようになって。まぁどうしようもなかったですね(苦笑)」 トラックではなく、夜の街を走り回り、箱根駅伝予選会のメンバー入りは果てしなく遠くなっていった。 大学3年の夏休みに入る前、阿久澤さんは突然、陸上部を退部した。 「ダラダラと部活を続けていても意味ないと思っていたんですが、自己ベストにはこだわっていました。そのために練習して、夏前の中大記録会で14分52秒(5000m)の自己ベストを出せたんです。箱根は無理だけど、やり切った感がすごくあったので、そのままスパっと退部しました。陸上が嫌いになったわけじゃないですけど、やめた本当の理由は正直、今もよくわからないです(苦笑)」 寮を出ると下北沢に引っ越して、渋谷の神泉のラブホテルの清掃と洋服屋でアルバイトを始めた。ラブホテルの清掃係は外国人やオバさんたちを始め、人間が面白く、昼の空き時間はデザインを考えたり、ゲームができたりしたので、最高のバイトだった。 閉ざされた正社員への道 大学卒業後は、就職せずにラブホテルでバイトをしながら代官山にあるハリウッドランチマーケットでアルバイトを始めた。80年代から人気のブランドで、阿久澤さんはそこで海外からの商品を検品するなど商品管理の仕事をしていた。 「店はすごい人気で、仕事も楽しかった。ここの社員になってバイヤーになりたいと思ったので、半年に1回ある社員の試験を受けたんです。論文方式ですが、テーマが、『あなたにとって聖林公司(ハリウッドランチマーケットの運営会社)とは』『聖林公司であなたは何したいですか』『聖林公司で10年後、あなたは何をしていると思いますか』という感じでほぼ同じなんです。半年後に違うこと書いたら前に書いたことが嘘になるので、毎回同じようなことを書いていたら4回連続で落されて‥‥。もうガッカリでしたね」 阿久澤さんは、3年間働いたハリウッドランチマーケットを辞め、とらばーゆ(求人誌)で見つけたアパレル会社に就職した。2年ほど経過した時、大学時代の友人が文化服装学院に入り、「アパレルを一緒にやらないか」と声を掛けられた。「おもしろそうだな」と思い、仲間4人でアパレルブランドを設立した。就職した会社は3年間でやめ、ラブホテルを始め、3つのアルバイトを掛け持ちしながら夢を見た。...

応援ランナーがわたしの生きがい
Why I Run:Stories from Runners vol.2 芦野さやかさん 後編 Text:Shun Sato パンを食べて走っても強くなる 芦野さやかさんは、2022年10月から皇居近くのRe.Ra.KuPRO永田町RUNNING&CAFEというランニングステーションを軸に活動している。 人と人、人とモノ、人と場所が繋がれる、コミュニティの場を作れるような活動を恒常的にしていきたいという想いから、出会ったのがこのランステだ。 「店長さんを紹介していただいて、ここなら会社から近く、カフェスペースもあり、走った後に交流ができる。私がやりたいコミュニティとか、みんなが楽しめる場とか、人とのつながりを持てる場になると思ったんです。コロナ禍以降利用者さんが減ったという平日の朝、ランステや皇居ランが盛り上がる様にと始めさせてもらったのですが、最初は誰も来なかったどうしようと不安もありました」 ここを拠点にパンランや70キロ走など、いろんなイベントを開催しており、インスタからは楽しさが伝わってくる。とりわけ、8年前に個人で始め、2019年に本格的にスタートしたパンランは、人気のイベントだ。 「パンランは、私は内臓が弱くてマラソン後に食事が採れないし、ウルトラでも70キロ以降、何も食べられなかったので、食べて走る練習として始めました。パン屋さんは夜な夜なパンスタグラマーさんの投稿やネットで趣味も兼ねてチェックしています。 私が参加者様全員とコミュニケーションを取りたいのと、みなさまに楽しんでいただきたくて、定員は大体16名前後。2人ペアにして街中を走り、みなさまが満遍なくコミュニケーションを取れるように列を適時入れ替えます。週末イベントは都度コースを変えていて、5〜6キロから70キロまであり、42キロパンランの時は終わった後、ログが食パンの形になるように考えました。『パン食べて走っても強くなるよ』って多くの人に実感してほしいですね(笑)」 ランの楽しさを伝導する パンランに関しては、さやかさんが先駆者になるが、最近はパンランを始めラン+食のイベントが増えている。楽しく走れると評価が高いから増えているわけだが、さやかさんは気にしていない。 「私が始めたとかではなく、パンランが盛り上がったり、パンとランを重ねることで走ることを楽しんでもらえるなら、どんどん増えていってほしいです。パンランが私の子どもだとして、それをみんなで育ててくれる感覚で、むしろうれしいです!」 だが、ビジネス的にどうなのだろうか。競合が増えると、参加する人が減ったり、回数を増やすことが難しくなることもある。 「私は、お客さんを取るという考え方が好きじゃないんです。競合=いいものにしようとお互い努力して、様々なイベントが魅力あるものになれば、参加する方も増えて、走ることに興味を持つ方が増えて…。そうしてランニング業界がもっと盛り上がると嬉しいです」 さやかさんが主催しているのは、ランニングイベントが多い。ランニングチームやランニングクラブが行なうような練習会は少ない。 「練習会は、私が陸上のコーチではないですし、指導することはできないのでメインにはならないです。私のやりたいことはそこではなくて、ランニングの楽しさを伝えたり、繋がりを作ったり、みなさまの走りを応援すること。 初心者の方がいきなりチームに入って練習…というのは少しハードルが高いけれど、私のイベントやコミュニティで気軽な気持ちで楽しめる経験をしてもらえたら、他のチームに入ったり練習会に参加しやすくなってもらえるかな…と。 運動未経験の私がランニングの入り口になって、他のチームへの橋渡しみたいなこともできるかもしれないと思っています」 退社の決断 イベントはソールドアウトになり、ブランドモデル、ゲストランナー、トレイルやウルトラの練習会など、ランニング関係の仕事が増えた。だが、会社員である以上、会社あってのランニング。実際、朝から午後9時過ぎまで会社で働き、帰宅した後、深夜3時過ぎまでランニングの仕事をこなした。こんな生活をつづけていくと体が壊れてしまう。そう思い、昨年8月頃から自分の生き方について真剣に考えるようになった。 「私は、私がする仕事でお客さまやSTAFFが笑顔になることをしたいと思ってきたんですけど、会社でのポジションや仕事の方向性が本来したいことと乖離してきて‥‥。主催するランニングイベントでは、みんなの笑顔が見られて、コミュニティから個々のつながりができたり、他の練習会やイベントにも行けるようになったと言ってもらえるようになったんです。それがうれしくて、私がやりたいことってそういうことなんだって思いました。やりたいことを優先した方が心地よく生きられる。ダメなら北海道の実家に帰ればいい。とにかくチャレンジしてみようと思い、(清水の舞台から)飛び降りました(笑)」 退社による収入減などリスクがあるが、自分らしい生き方を優先したさやかさんは、今年5月に退社、フリーでランニングの仕事を始めた。...
応援ランナーがわたしの生きがい
Why I Run:Stories from Runners vol.2 芦野さやかさん 後編 Text:Shun Sato パンを食べて走っても強くなる 芦野さやかさんは、2022年10月から皇居近くのRe.Ra.KuPRO永田町RUNNING&CAFEというランニングステーションを軸に活動している。 人と人、人とモノ、人と場所が繋がれる、コミュニティの場を作れるような活動を恒常的にしていきたいという想いから、出会ったのがこのランステだ。 「店長さんを紹介していただいて、ここなら会社から近く、カフェスペースもあり、走った後に交流ができる。私がやりたいコミュニティとか、みんなが楽しめる場とか、人とのつながりを持てる場になると思ったんです。コロナ禍以降利用者さんが減ったという平日の朝、ランステや皇居ランが盛り上がる様にと始めさせてもらったのですが、最初は誰も来なかったどうしようと不安もありました」 ここを拠点にパンランや70キロ走など、いろんなイベントを開催しており、インスタからは楽しさが伝わってくる。とりわけ、8年前に個人で始め、2019年に本格的にスタートしたパンランは、人気のイベントだ。 「パンランは、私は内臓が弱くてマラソン後に食事が採れないし、ウルトラでも70キロ以降、何も食べられなかったので、食べて走る練習として始めました。パン屋さんは夜な夜なパンスタグラマーさんの投稿やネットで趣味も兼ねてチェックしています。 私が参加者様全員とコミュニケーションを取りたいのと、みなさまに楽しんでいただきたくて、定員は大体16名前後。2人ペアにして街中を走り、みなさまが満遍なくコミュニケーションを取れるように列を適時入れ替えます。週末イベントは都度コースを変えていて、5〜6キロから70キロまであり、42キロパンランの時は終わった後、ログが食パンの形になるように考えました。『パン食べて走っても強くなるよ』って多くの人に実感してほしいですね(笑)」 ランの楽しさを伝導する パンランに関しては、さやかさんが先駆者になるが、最近はパンランを始めラン+食のイベントが増えている。楽しく走れると評価が高いから増えているわけだが、さやかさんは気にしていない。 「私が始めたとかではなく、パンランが盛り上がったり、パンとランを重ねることで走ることを楽しんでもらえるなら、どんどん増えていってほしいです。パンランが私の子どもだとして、それをみんなで育ててくれる感覚で、むしろうれしいです!」 だが、ビジネス的にどうなのだろうか。競合が増えると、参加する人が減ったり、回数を増やすことが難しくなることもある。 「私は、お客さんを取るという考え方が好きじゃないんです。競合=いいものにしようとお互い努力して、様々なイベントが魅力あるものになれば、参加する方も増えて、走ることに興味を持つ方が増えて…。そうしてランニング業界がもっと盛り上がると嬉しいです」 さやかさんが主催しているのは、ランニングイベントが多い。ランニングチームやランニングクラブが行なうような練習会は少ない。 「練習会は、私が陸上のコーチではないですし、指導することはできないのでメインにはならないです。私のやりたいことはそこではなくて、ランニングの楽しさを伝えたり、繋がりを作ったり、みなさまの走りを応援すること。 初心者の方がいきなりチームに入って練習…というのは少しハードルが高いけれど、私のイベントやコミュニティで気軽な気持ちで楽しめる経験をしてもらえたら、他のチームに入ったり練習会に参加しやすくなってもらえるかな…と。 運動未経験の私がランニングの入り口になって、他のチームへの橋渡しみたいなこともできるかもしれないと思っています」 退社の決断 イベントはソールドアウトになり、ブランドモデル、ゲストランナー、トレイルやウルトラの練習会など、ランニング関係の仕事が増えた。だが、会社員である以上、会社あってのランニング。実際、朝から午後9時過ぎまで会社で働き、帰宅した後、深夜3時過ぎまでランニングの仕事をこなした。こんな生活をつづけていくと体が壊れてしまう。そう思い、昨年8月頃から自分の生き方について真剣に考えるようになった。 「私は、私がする仕事でお客さまやSTAFFが笑顔になることをしたいと思ってきたんですけど、会社でのポジションや仕事の方向性が本来したいことと乖離してきて‥‥。主催するランニングイベントでは、みんなの笑顔が見られて、コミュニティから個々のつながりができたり、他の練習会やイベントにも行けるようになったと言ってもらえるようになったんです。それがうれしくて、私がやりたいことってそういうことなんだって思いました。やりたいことを優先した方が心地よく生きられる。ダメなら北海道の実家に帰ればいい。とにかくチャレンジしてみようと思い、(清水の舞台から)飛び降りました(笑)」 退社による収入減などリスクがあるが、自分らしい生き方を優先したさやかさんは、今年5月に退社、フリーでランニングの仕事を始めた。...

金髪ギャルがランニングにハマった理由
Why I Run:Stories from Runners vol.2 芦野さやかさん 前編 Text:Shun Sato 明るく、笑顔で、ランニングを楽しんでる。 “さやぴ”こと芦野さやかさんと一緒に走った人たちは、例外なく同じ印象を持っているのではないだろうか。会社員で趣味で始めたランニングだが、今やマラソンを3時間9分で走り、ウルトラマラソンでサブ10を達成し、パンランを主催するなど“走ること”を仕事にしている。 「人生で唯一ハマったコトがランニングでした」 そう語るさやかさんは、なぜ走り続けるのだろうか――。 学生時代は金髪ギャル 「中学から高校まで部活を始めスポーツは何もしていなかったです。カラオケとバイトの日々で、北海道の田舎でギャルしていました(笑)」 体を動かすことは好きだった。その日にバスケットボールがやりたくなったらバスケ部に行き、翌日はバレー部に顔を出したり、卓球部に遊びに行った。決められた場所で、決められた時間に、決められた人と決められたことをするのが苦手だった。 そのために部活に入らず、アイドルやアニメなどの趣味にハマることもなかった。金髪ギャルで、自由に伸び伸びと青春を謳歌していた。 「その頃、夢中になれるものが特になかったんです」 大学時代は、ファッションに興味があったのでセレクトショップでアルバイトをした。 卒業後、さやかさんはアルマーニというファッションブランドに就職するのだが、そのキッカケになったのは中高時代の福祉関係のボランティアと大学時代に経験した研修だった。母親が福祉のボランティアをしていたので、よく施設に手伝いに行った、 「金髪でお手伝いに行っていたのですが、施設の方々や利用者の方は、私の外見への偏見がなく"手伝いに来てくれる人"として見てくれて、それがすごくうれしかった。それから私も偏見を持たず、誰かの役に立ちたいと思うようになったんです」 日本一の売上達成 大学で福祉心理学を学んでいたさやかさんは、研修で児童養護施設に1ヶ月間通い、様々な理由から親との生活がかなわない子供達と生活を共にした。なんの罪もない彼らは偏見の目で見られたり、就職時に困難な状況になる事も少なくないという現状を知った。 全ての子どもたちが活き活きと働ける場所を自分が作れたら…。自分が好きなファッションと子どもたちの将来が融合できることがしたいと思った。 「その為にまずは一流のサービスを学ぼうと思い、札幌市内を見て回った際に、理想とする接客をしていて、お客様が笑顔で過ごされていて、ここだ!と思ったところがアルマーニでした。早速、『働きたいです』とお手紙を送ったのですが、毎年募集があるわけではないと言われて‥‥でも、その年、たまたま新卒採用があったんです」 さやかさんの熱い思いが伝わり、入社が決まり、表参道店に配属。1年半後に日本一の売上を誇る新宿店に異動。最初は先輩から身だしなみ、声のトーン、話し方、立ち居振る舞い、言葉遣い…ラグジュアリーなおもてなしの場に相応しくないと多くの指摘を受けた。 それから声のトーンを落とし、各お客様にとって心地よいペースで話し、商品知識を丁寧に伝え、全てのお客様にトータルコーディネートで提案をし、相応しいスタッフとなる努力をした。 男女で来店されるお客様については、女性への配慮を忘れず、男性との距離感を保って接客。徐々に男女問わずお客様から支持をいただけるようになり、日本一の売上を達成した。 ここでの経験は今のイベント運営に大きく活きている。...
金髪ギャルがランニングにハマった理由
Why I Run:Stories from Runners vol.2 芦野さやかさん 前編 Text:Shun Sato 明るく、笑顔で、ランニングを楽しんでる。 “さやぴ”こと芦野さやかさんと一緒に走った人たちは、例外なく同じ印象を持っているのではないだろうか。会社員で趣味で始めたランニングだが、今やマラソンを3時間9分で走り、ウルトラマラソンでサブ10を達成し、パンランを主催するなど“走ること”を仕事にしている。 「人生で唯一ハマったコトがランニングでした」 そう語るさやかさんは、なぜ走り続けるのだろうか――。 学生時代は金髪ギャル 「中学から高校まで部活を始めスポーツは何もしていなかったです。カラオケとバイトの日々で、北海道の田舎でギャルしていました(笑)」 体を動かすことは好きだった。その日にバスケットボールがやりたくなったらバスケ部に行き、翌日はバレー部に顔を出したり、卓球部に遊びに行った。決められた場所で、決められた時間に、決められた人と決められたことをするのが苦手だった。 そのために部活に入らず、アイドルやアニメなどの趣味にハマることもなかった。金髪ギャルで、自由に伸び伸びと青春を謳歌していた。 「その頃、夢中になれるものが特になかったんです」 大学時代は、ファッションに興味があったのでセレクトショップでアルバイトをした。 卒業後、さやかさんはアルマーニというファッションブランドに就職するのだが、そのキッカケになったのは中高時代の福祉関係のボランティアと大学時代に経験した研修だった。母親が福祉のボランティアをしていたので、よく施設に手伝いに行った、 「金髪でお手伝いに行っていたのですが、施設の方々や利用者の方は、私の外見への偏見がなく"手伝いに来てくれる人"として見てくれて、それがすごくうれしかった。それから私も偏見を持たず、誰かの役に立ちたいと思うようになったんです」 日本一の売上達成 大学で福祉心理学を学んでいたさやかさんは、研修で児童養護施設に1ヶ月間通い、様々な理由から親との生活がかなわない子供達と生活を共にした。なんの罪もない彼らは偏見の目で見られたり、就職時に困難な状況になる事も少なくないという現状を知った。 全ての子どもたちが活き活きと働ける場所を自分が作れたら…。自分が好きなファッションと子どもたちの将来が融合できることがしたいと思った。 「その為にまずは一流のサービスを学ぼうと思い、札幌市内を見て回った際に、理想とする接客をしていて、お客様が笑顔で過ごされていて、ここだ!と思ったところがアルマーニでした。早速、『働きたいです』とお手紙を送ったのですが、毎年募集があるわけではないと言われて‥‥でも、その年、たまたま新卒採用があったんです」 さやかさんの熱い思いが伝わり、入社が決まり、表参道店に配属。1年半後に日本一の売上を誇る新宿店に異動。最初は先輩から身だしなみ、声のトーン、話し方、立ち居振る舞い、言葉遣い…ラグジュアリーなおもてなしの場に相応しくないと多くの指摘を受けた。 それから声のトーンを落とし、各お客様にとって心地よいペースで話し、商品知識を丁寧に伝え、全てのお客様にトータルコーディネートで提案をし、相応しいスタッフとなる努力をした。 男女で来店されるお客様については、女性への配慮を忘れず、男性との距離感を保って接客。徐々に男女問わずお客様から支持をいただけるようになり、日本一の売上を達成した。 ここでの経験は今のイベント運営に大きく活きている。...

まだ、若手に抜かれるわけにはいかない
RRC member Interview text:Shun Sato 2023年 チーム総合MVP 唐津孝二さん 昨年7月のゴールドコーストマラソンで2時間48分18の自己新をマークし、サブエガを達成した。それまでの持ちタイム2時間53分03秒(東京マラソン2023)から5分近くも縮める快走だった。 「週1,2回のきつめのポイント練習を積んで、距離も踏めていたので走れる自信はありました。でも、実際に目標をクリアした時は、すごくうれしかったです」 快心のレースでPBを更新したゴールドコーストマラソンのFinish RETOとの出会い 喜びの表情を見せた唐津さんは、中高時代は陸上部。400mや幅跳びの選手で、長距離は社会人になってから始めた。仙台に転勤し、知り合いもいないので、一人で何かできるものがないかなと思って始めたのがジョギングだった。楽天スタジアムのあたりをぐるりと回って走っていたという。その後、松島のハーフマラソンに出場して1時間40分で走り、その1年後、第1回東北みやぎ復興マラソンに出てサブ4を達成した。 「マラソンが終わった後は、めちゃくちゃきつくて、もう嫌だと思ったんですが、ちょっと経つとまた走りたくなって。マラソンあるあるですけど(笑)」 東京に戻って来てからは、ひとりで神宮外苑や皇居周辺を走っていた。サブ3を狙って走っていたが、なかなか越えられず、「自分ひとりでは限界かな」と思っていた時、神野大地のYouTubeを見て、RETOに参加した。それから1年ちょっとで、サブエガにまで到達した。 2022年6月 RRCが発足して初の合宿にも参加した 「さすがにここまで上がって来れるとは思っていなかったので、驚いています。刺激になったのは、同世代ですね。絵さん(片山絵さん)、つっちーさん(土本優作さん)とか、同じようなタイムを狙っている人たちの頑張りを見ていると、自分もという気持ちになりました。絵さんは調子が良かったので、シーズン中に抜かされちゃうなって思っていたんですが、なんとか逃げ切れてよかったです(笑)」 Beyond2023では12kmで集団から遅れ苦しい走りとなった 練習メニューで参考にした2冊 唐津さんは、ゴールドコーストでサブエガを達成した後、11月につくばマラソン(3時間08分22秒)、12月にはBeyond2023(3時間07分36秒)に出走した。だが、思うような結果を残すことができなかった。 「Beyondは、東京マラソンに向けてマラソンペースでと考えていたんです。3分55秒ぐらいで入ったんですが、ハーフまでは最低でもいけるかな、できれば30キロまで頑張ろうと思っていました。でも12キロで撃沈してしまって(苦笑)。その前に故障があったりして、体が出来ていない状態だったので、東京まで仕切り直しだなと思いました。現状を知ることができましたし、それほどショックはなかったです」 唐津さんは、Beyondの少し前から練習メニューを変更していた。 参考にしているのは、「ダニエルズのランニングフォーミュラ」「アドバンスト・マラソン・トレーニング」だ。ランニングのケアは、中野ジェームズ修一氏監修の「最高のランニングケア」をよく見ている。「アドバンスト・マラソン・トレーニング」は練習メニューが詳細に掲載されているという。 「あと、YouTubeで検索して、おもしろそうだなと思うものは見ています。練習ノートとかはつけていなくて、自分の頭の中で1週間のメニューを組み立てています。練習後の感想とかも記録していないですね。ストラバにもあまり書かないです。本当はした方がいいと思いますが、意外と頭の中に入っているので、レース以外は書き記すことはないです」 最もレベルの高いA+チームで練習を行う唐津さん 練習をやり切る理由 練習は、ゴールドコース前のような負荷の高いポイントから「ちょっとつらいかな」というレベルのポイントに切り替え、その回数を増やしていった。練習時間は、子どもが生まれたこともあり、自由に使える時間が限定されたので、ある曜日の朝と夜にポイントをして、翌日はジョグをする。1日2部練みたいなスタイルで進め、その結果、通常(500キロ前後)よりも月間走行距離が増え、550キロに届いた。RETOのメンバーなら存じているだろうが、唐津さんはRETOの個人練習やタムケン練にもほとんど参加せず、単独で練習をこなしている。 「僕は、長期の練習プランを立てず、だいたい1週間単位で組み立てています。ひとりでやるのは苦にならないのですが、その練習ができなかったり、うまくいかないと気持ち悪いというか、イライラしてしまうので、無理やりにでもこなすようにしています。あと、RETOでは、モチベーションでいい刺激を受けていました。アマネ(有本周翔さん)とか若い人がすごく成長してきたんですけど、まだ抜かれるわけにはいかないという気持ちがありました(笑)」 東京マラソンへの手応えを感じたのは、レースの3週間前だった。久しぶりにRETOの練習会に参加し、1600mのインターバル6本(5分44秒)の練習を余裕をもってこなせた。...
まだ、若手に抜かれるわけにはいかない
RRC member Interview text:Shun Sato 2023年 チーム総合MVP 唐津孝二さん 昨年7月のゴールドコーストマラソンで2時間48分18の自己新をマークし、サブエガを達成した。それまでの持ちタイム2時間53分03秒(東京マラソン2023)から5分近くも縮める快走だった。 「週1,2回のきつめのポイント練習を積んで、距離も踏めていたので走れる自信はありました。でも、実際に目標をクリアした時は、すごくうれしかったです」 快心のレースでPBを更新したゴールドコーストマラソンのFinish RETOとの出会い 喜びの表情を見せた唐津さんは、中高時代は陸上部。400mや幅跳びの選手で、長距離は社会人になってから始めた。仙台に転勤し、知り合いもいないので、一人で何かできるものがないかなと思って始めたのがジョギングだった。楽天スタジアムのあたりをぐるりと回って走っていたという。その後、松島のハーフマラソンに出場して1時間40分で走り、その1年後、第1回東北みやぎ復興マラソンに出てサブ4を達成した。 「マラソンが終わった後は、めちゃくちゃきつくて、もう嫌だと思ったんですが、ちょっと経つとまた走りたくなって。マラソンあるあるですけど(笑)」 東京に戻って来てからは、ひとりで神宮外苑や皇居周辺を走っていた。サブ3を狙って走っていたが、なかなか越えられず、「自分ひとりでは限界かな」と思っていた時、神野大地のYouTubeを見て、RETOに参加した。それから1年ちょっとで、サブエガにまで到達した。 2022年6月 RRCが発足して初の合宿にも参加した 「さすがにここまで上がって来れるとは思っていなかったので、驚いています。刺激になったのは、同世代ですね。絵さん(片山絵さん)、つっちーさん(土本優作さん)とか、同じようなタイムを狙っている人たちの頑張りを見ていると、自分もという気持ちになりました。絵さんは調子が良かったので、シーズン中に抜かされちゃうなって思っていたんですが、なんとか逃げ切れてよかったです(笑)」 Beyond2023では12kmで集団から遅れ苦しい走りとなった 練習メニューで参考にした2冊 唐津さんは、ゴールドコーストでサブエガを達成した後、11月につくばマラソン(3時間08分22秒)、12月にはBeyond2023(3時間07分36秒)に出走した。だが、思うような結果を残すことができなかった。 「Beyondは、東京マラソンに向けてマラソンペースでと考えていたんです。3分55秒ぐらいで入ったんですが、ハーフまでは最低でもいけるかな、できれば30キロまで頑張ろうと思っていました。でも12キロで撃沈してしまって(苦笑)。その前に故障があったりして、体が出来ていない状態だったので、東京まで仕切り直しだなと思いました。現状を知ることができましたし、それほどショックはなかったです」 唐津さんは、Beyondの少し前から練習メニューを変更していた。 参考にしているのは、「ダニエルズのランニングフォーミュラ」「アドバンスト・マラソン・トレーニング」だ。ランニングのケアは、中野ジェームズ修一氏監修の「最高のランニングケア」をよく見ている。「アドバンスト・マラソン・トレーニング」は練習メニューが詳細に掲載されているという。 「あと、YouTubeで検索して、おもしろそうだなと思うものは見ています。練習ノートとかはつけていなくて、自分の頭の中で1週間のメニューを組み立てています。練習後の感想とかも記録していないですね。ストラバにもあまり書かないです。本当はした方がいいと思いますが、意外と頭の中に入っているので、レース以外は書き記すことはないです」 最もレベルの高いA+チームで練習を行う唐津さん 練習をやり切る理由 練習は、ゴールドコース前のような負荷の高いポイントから「ちょっとつらいかな」というレベルのポイントに切り替え、その回数を増やしていった。練習時間は、子どもが生まれたこともあり、自由に使える時間が限定されたので、ある曜日の朝と夜にポイントをして、翌日はジョグをする。1日2部練みたいなスタイルで進め、その結果、通常(500キロ前後)よりも月間走行距離が増え、550キロに届いた。RETOのメンバーなら存じているだろうが、唐津さんはRETOの個人練習やタムケン練にもほとんど参加せず、単独で練習をこなしている。 「僕は、長期の練習プランを立てず、だいたい1週間単位で組み立てています。ひとりでやるのは苦にならないのですが、その練習ができなかったり、うまくいかないと気持ち悪いというか、イライラしてしまうので、無理やりにでもこなすようにしています。あと、RETOでは、モチベーションでいい刺激を受けていました。アマネ(有本周翔さん)とか若い人がすごく成長してきたんですけど、まだ抜かれるわけにはいかないという気持ちがありました(笑)」 東京マラソンへの手応えを感じたのは、レースの3週間前だった。久しぶりにRETOの練習会に参加し、1600mのインターバル6本(5分44秒)の練習を余裕をもってこなせた。...

シューズオタクがチームに還元できること
RRC member interview text:Shun Sato A+チーム(目標:サブ2時間50分)年間MVP 有本周翔さん 持久力改善の取り組み 2023-2024シーズンの取り組みとして考えていたのは、課題になっている持久力の改善です。2023年4月に出た公認記録会では1500mを4分48秒で走れていたのに自己ベスト3時間19分台はVDOT表的にどう考えても持久力に課題がありました。この課題を解消するため夏場でも150分のジョグを何回かやったり、サボらないように北海道マラソンを走ったり夏場の積み重ねを行いました。 ナガソエ練で自信 暑いのが苦手なのでマラソンシーズンインは11月からにして、シーズンインまでの期間はとにかくLT系の練習とレースペース付近での距離走を重視しました。ただLT系の練習は一人でもなんとか出来ますけど距離走は1人でやるのが苦手で苦労していました。 すべてがハマったつくば 苦手な距離走をなんとか質高くこなしたいなと思い10月頃からナガソエ練に参加し始めました。ナガソエ練での集団走の力を借りたことで4分20秒/kmで30km、翌週に4分5秒/kmで21km、その翌週に4分10秒/kmで30kmと3週連続質の高い練習が出来ました。ここである程度自信が持てたのもあり、11月の坂東将門ハーフでは81分ちょうど、つくばマラソンでは2時間52分台(PB)で走ることが出来ました。両日気温1桁かつ小雨が降っている環境で個人的にコンディションがすごく良かったのが大きかったです。 苦労したシーズン後半 ただその後のシーズンは割と苦労しました。当初シーズン終わりの大会で2時間55分を切って別大カテゴリー2で走れるようになれればいいなと思っていたのが2023年内で達成し、当初2時間55分で狙う大会の目標は2時間50分と目標を上方修正しました。4分/kmでフルマラソンを走り切る練習を積み重ね切れなかったので、残りのレース(別大,大阪)は一か八かになるけど4分/kmを切るペースで入って粘れるだけ粘るみたいな走り方になり、別大は30km過ぎから垂れて2時間55分台、大阪はBブロックスタートだったこともあり序盤無茶な走り方したせいで途中股関節周りに痛みが出て途中棄権になりました。この2レースの反省を活かし、今年はシーズン後半苦労しないように準備したいなって思いました。 シューズアドバイザ―として 思い返せば2023-2024年のフルマラソンって全て違うシューズで走りました。(北海道:Asics Metaspeed Edge+、つくば:NIKE Vaporfly Next%3、別大:Anta C202 5GT PRO、大阪:Xtep 160X 5.0 PRO)最近、機能性のあるウェアとかありますけど走るパフォーマンスが道具で変わるのってやっぱシューズじゃないですか。そう考えた時、自分にとってどんなシューズが合うんだろうって、シューズについて調べていったら自然とシューズについて詳しくなったんです。最近ではシューズオタクの知識を多少貢献する意味合いでチームメンバーに「このシューズとか合うんじゃね?」みたいなアドバイスしたりしています。アドバイスするときはシューズのスペックとその人のターゲットタイムや走り方など色々加味して良さそうなシューズを2~3足提案しています。アドバイスしたシューズを履いてPB更新したチームメンバーから感謝されるのは個人的にメッチャ嬉しいですね。PB更新したのはその人の努力の積み重ねの成果ですし、アドバイスしたシューズを最終的に選択して履いたのはメンバーなので自分がしたことなんてごく僅かなんですけど。 牧野さんを超える 2024-2025年シーズンの目標は色々ありますけど、とりあえずはいろんな練習会等にペーサーとして顔出していていろんなコミュニティの方々と交流あるのにも関わらず名指しで「アイツだけには負けたくねぇ」と私の名前を挙げる某牧野さんの自己ベストは超えたいですね。 ...
シューズオタクがチームに還元できること
RRC member interview text:Shun Sato A+チーム(目標:サブ2時間50分)年間MVP 有本周翔さん 持久力改善の取り組み 2023-2024シーズンの取り組みとして考えていたのは、課題になっている持久力の改善です。2023年4月に出た公認記録会では1500mを4分48秒で走れていたのに自己ベスト3時間19分台はVDOT表的にどう考えても持久力に課題がありました。この課題を解消するため夏場でも150分のジョグを何回かやったり、サボらないように北海道マラソンを走ったり夏場の積み重ねを行いました。 ナガソエ練で自信 暑いのが苦手なのでマラソンシーズンインは11月からにして、シーズンインまでの期間はとにかくLT系の練習とレースペース付近での距離走を重視しました。ただLT系の練習は一人でもなんとか出来ますけど距離走は1人でやるのが苦手で苦労していました。 すべてがハマったつくば 苦手な距離走をなんとか質高くこなしたいなと思い10月頃からナガソエ練に参加し始めました。ナガソエ練での集団走の力を借りたことで4分20秒/kmで30km、翌週に4分5秒/kmで21km、その翌週に4分10秒/kmで30kmと3週連続質の高い練習が出来ました。ここである程度自信が持てたのもあり、11月の坂東将門ハーフでは81分ちょうど、つくばマラソンでは2時間52分台(PB)で走ることが出来ました。両日気温1桁かつ小雨が降っている環境で個人的にコンディションがすごく良かったのが大きかったです。 苦労したシーズン後半 ただその後のシーズンは割と苦労しました。当初シーズン終わりの大会で2時間55分を切って別大カテゴリー2で走れるようになれればいいなと思っていたのが2023年内で達成し、当初2時間55分で狙う大会の目標は2時間50分と目標を上方修正しました。4分/kmでフルマラソンを走り切る練習を積み重ね切れなかったので、残りのレース(別大,大阪)は一か八かになるけど4分/kmを切るペースで入って粘れるだけ粘るみたいな走り方になり、別大は30km過ぎから垂れて2時間55分台、大阪はBブロックスタートだったこともあり序盤無茶な走り方したせいで途中股関節周りに痛みが出て途中棄権になりました。この2レースの反省を活かし、今年はシーズン後半苦労しないように準備したいなって思いました。 シューズアドバイザ―として 思い返せば2023-2024年のフルマラソンって全て違うシューズで走りました。(北海道:Asics Metaspeed Edge+、つくば:NIKE Vaporfly Next%3、別大:Anta C202 5GT PRO、大阪:Xtep 160X 5.0 PRO)最近、機能性のあるウェアとかありますけど走るパフォーマンスが道具で変わるのってやっぱシューズじゃないですか。そう考えた時、自分にとってどんなシューズが合うんだろうって、シューズについて調べていったら自然とシューズについて詳しくなったんです。最近ではシューズオタクの知識を多少貢献する意味合いでチームメンバーに「このシューズとか合うんじゃね?」みたいなアドバイスしたりしています。アドバイスするときはシューズのスペックとその人のターゲットタイムや走り方など色々加味して良さそうなシューズを2~3足提案しています。アドバイスしたシューズを履いてPB更新したチームメンバーから感謝されるのは個人的にメッチャ嬉しいですね。PB更新したのはその人の努力の積み重ねの成果ですし、アドバイスしたシューズを最終的に選択して履いたのはメンバーなので自分がしたことなんてごく僅かなんですけど。 牧野さんを超える 2024-2025年シーズンの目標は色々ありますけど、とりあえずはいろんな練習会等にペーサーとして顔出していていろんなコミュニティの方々と交流あるのにも関わらず名指しで「アイツだけには負けたくねぇ」と私の名前を挙げる某牧野さんの自己ベストは超えたいですね。 ...

ロードとトライアスロンの両立が強み
RRC member interview text:Shun Sato A1チーム(目標:サブ3時間00分)年間MVP 金子文也さん 3レース連続の自己ベスト更新 2023‐2024シーズンは、サブ3を達成できて、自分の成長が感じられたので、すごく有意義な1年でした。 サブ3は、昨年12月のみえ松坂マラソン2023で達成(2時間59分38秒)することができました。元々は2月の別府大分マラソンで狙っていたんです。でも、ひとつ前で達成できたので、別大はサブ3の再現をテーマにしました。結果2時間57分27秒の自己ベストで走ることができ、サブスリーはマグレではないことを実感できました。 3月のふくい桜マラソンは、走りやすいと聞いていましたし、自分が仕上がった状態で挑戦できるレースとして本命視していました。サブ3は別大で再現性を担保できたので、福井では最初から突っ込んでみようと決め、この1年間の成果を試すチャレンジレースに設定していました。結果的に、最初から飛ばし過ぎて後半は意識が飛びそうになり、ゴール後は両足が攣ってしまいましたが、自己ベスト(2時間54分26秒)を更新してシーズンを終われました。サブエガへの壁が見えた一方、このシーズンは当初の目標より良い成果で終われたので、個人的には満足でした。 ライバル心 この1年間、成長できたのは、RETOのおかげです。RETOに入る前は個人で淡々と走っていたんですけど、加入後は自主練に参加したり、自分が走らないけどみんなが走るレースを追いかけたり、逆に自分が走った時に応援してもらったり、誰かの頑張りに刺激を受けたり、誰かの頑張りを糧にして自分も頑張れるようになりました。チームの仲間も刺激になりました。ナガシオ(長塩佳典さん)とか、カズマ(是枝一摩さん)とか、走力も年齢も近い2人がいい記録を出したり、練習会でいい走りをすると、素直に「凄い!嬉しい!」と思う一方、内心では「負けていられない」と思ってメラメラしていました。 トライアスロンの経験をロードに活かす 自分は、夏にはトライアスロンをやっています。似たような競技だけど違いもあって、相互に良い影響があるなと感じています。マラソンは本番までにコンディションを整えて、万全の状態で走り始めて、沿道からの豊富な声援を受けて全力を出し切る。トライアスロンはスイムやバイクの負荷を抱えながら走り始めて、常に自分の身体と向き合って、今どうすべきか模索しながらなんとか走り切る。トライアスロンで培った計画性や粘り強さはマラソンに活きてると思うし、マラソンで学んだレース本番を全力で楽しむ心意気もまた、トライアスロンでのメンタルコントロールに活きてると感じます。 今の自分に必要なトレーニング トライアスロンではバイクが課題で、最近は週末のロングライドで150キロほど走るようにしたり、平日も1時間から1時間半、ローラーでバイクを漕ぐようにしています。マラソンの練習は、聖也さんのメニューが軸です。個人のポイント練の時はいい状態で走りたいので、走る前に秋本真吾さんが紹介してくださったドリルをやっています。月間走行距離は250キロから300キロ。練習時間は、今は夜が多いです。コンサルティングの会社で働いているので、お客さまの都合次第で朝中心になることもあります。今のところは仕事とマラソン、トライアスロンがうまく噛み合っている感じですね。 トライアスロンとロードのウエイト差 自分は筋肉がつきやすいのですが、トライアスロンをしている時はある程度、体が大きくないと走り切れないのでしっかり食べて、70キロ以上の体重を維持するようにしています。逆にマラソンシーズンになると絞れて、今年の3月は66キロまで落としました。普段は68〜72キロぐらいですね。 ターゲットはサブエガ 次のシーズンの目標として、秋まではトライアスロンをがんばって、10月の高島平ハーフで80分を切れれば、つくばマラソンでサブエガが見えてくるかなと思っています。練習会では『ゴリラが走っているみたい』って言われるんですけど、本当はマッチ―(町田祐磨さん)みたいに軽やかに走りたいです。とはいえ、自分の持ち味を活かしてこれからもドスドスと蹴散らして走っていきます。
ロードとトライアスロンの両立が強み
RRC member interview text:Shun Sato A1チーム(目標:サブ3時間00分)年間MVP 金子文也さん 3レース連続の自己ベスト更新 2023‐2024シーズンは、サブ3を達成できて、自分の成長が感じられたので、すごく有意義な1年でした。 サブ3は、昨年12月のみえ松坂マラソン2023で達成(2時間59分38秒)することができました。元々は2月の別府大分マラソンで狙っていたんです。でも、ひとつ前で達成できたので、別大はサブ3の再現をテーマにしました。結果2時間57分27秒の自己ベストで走ることができ、サブスリーはマグレではないことを実感できました。 3月のふくい桜マラソンは、走りやすいと聞いていましたし、自分が仕上がった状態で挑戦できるレースとして本命視していました。サブ3は別大で再現性を担保できたので、福井では最初から突っ込んでみようと決め、この1年間の成果を試すチャレンジレースに設定していました。結果的に、最初から飛ばし過ぎて後半は意識が飛びそうになり、ゴール後は両足が攣ってしまいましたが、自己ベスト(2時間54分26秒)を更新してシーズンを終われました。サブエガへの壁が見えた一方、このシーズンは当初の目標より良い成果で終われたので、個人的には満足でした。 ライバル心 この1年間、成長できたのは、RETOのおかげです。RETOに入る前は個人で淡々と走っていたんですけど、加入後は自主練に参加したり、自分が走らないけどみんなが走るレースを追いかけたり、逆に自分が走った時に応援してもらったり、誰かの頑張りに刺激を受けたり、誰かの頑張りを糧にして自分も頑張れるようになりました。チームの仲間も刺激になりました。ナガシオ(長塩佳典さん)とか、カズマ(是枝一摩さん)とか、走力も年齢も近い2人がいい記録を出したり、練習会でいい走りをすると、素直に「凄い!嬉しい!」と思う一方、内心では「負けていられない」と思ってメラメラしていました。 トライアスロンの経験をロードに活かす 自分は、夏にはトライアスロンをやっています。似たような競技だけど違いもあって、相互に良い影響があるなと感じています。マラソンは本番までにコンディションを整えて、万全の状態で走り始めて、沿道からの豊富な声援を受けて全力を出し切る。トライアスロンはスイムやバイクの負荷を抱えながら走り始めて、常に自分の身体と向き合って、今どうすべきか模索しながらなんとか走り切る。トライアスロンで培った計画性や粘り強さはマラソンに活きてると思うし、マラソンで学んだレース本番を全力で楽しむ心意気もまた、トライアスロンでのメンタルコントロールに活きてると感じます。 今の自分に必要なトレーニング トライアスロンではバイクが課題で、最近は週末のロングライドで150キロほど走るようにしたり、平日も1時間から1時間半、ローラーでバイクを漕ぐようにしています。マラソンの練習は、聖也さんのメニューが軸です。個人のポイント練の時はいい状態で走りたいので、走る前に秋本真吾さんが紹介してくださったドリルをやっています。月間走行距離は250キロから300キロ。練習時間は、今は夜が多いです。コンサルティングの会社で働いているので、お客さまの都合次第で朝中心になることもあります。今のところは仕事とマラソン、トライアスロンがうまく噛み合っている感じですね。 トライアスロンとロードのウエイト差 自分は筋肉がつきやすいのですが、トライアスロンをしている時はある程度、体が大きくないと走り切れないのでしっかり食べて、70キロ以上の体重を維持するようにしています。逆にマラソンシーズンになると絞れて、今年の3月は66キロまで落としました。普段は68〜72キロぐらいですね。 ターゲットはサブエガ 次のシーズンの目標として、秋まではトライアスロンをがんばって、10月の高島平ハーフで80分を切れれば、つくばマラソンでサブエガが見えてくるかなと思っています。練習会では『ゴリラが走っているみたい』って言われるんですけど、本当はマッチ―(町田祐磨さん)みたいに軽やかに走りたいです。とはいえ、自分の持ち味を活かしてこれからもドスドスと蹴散らして走っていきます。