RRC member interview
text:Shun Sato
第12クール Bチーム(目標:フルマラソンsub3.5)MVP 梅下かおりさん
ChatGPTのお告げ
PB(3時間29分26秒)を出した大阪マラソンは、本当に体調が悪くて最悪でした。3日前ぐらいからお腹をこわしていたので、ChatGPTに、この状態で走り切るにはどうしたらいいんですかって聞いたんです。1番やめとく、2番ゆっくり走る、3番替えのパンツを持って走る。3番を使う事態になったら完走できても私の社会的な信用はどうなるんだって思ったんですが(笑)、せっかく来たので出ようと。ただ、医療従事者でもあるので、遠征に来て地元の救急医療を逼迫させるのだけはしちゃいけないという気持ちでスタートしました。

35キロでの覚醒
キロ5のペーランでいいやって思って走り、雪が降って寒かったので喉も乾かず、無補給で35キロまで来たんです。そうしたらゆうこりん(長谷部裕子)が「3.5いけるよ」って叫んでいるのが聞こえて、誰の話?って思ったんです。そこから覚醒し、ギアを上げてぎりぎりサブ3.5にねじ込むことができました。たぶん元気だったら逆に片肘張ってダメだったでしょうね。体調が悪いので気楽な気持ちで寝たように走れたのが良かったんだと思います。
8年間の挑戦
サブ4からサブ3.5を達成するまで8年かかりました。2017年のニューヨークシティマラソンでサブ4を達成し、それからずっとサブ4維持で月間200キロのジョギングおばさんを続けていました。でも、2022年の防府マラソンで3時間35分を切って、あっこれはイケるんじゃないって思ったんです。そこからやるやる詐欺がつづいたので、RETOに入れてもらいました。私は、いろんなところからいろんなものをかき集めてやっと1分縮めていく感じですが、RETOの若い子は一気に30分とか縮めるじゃないですか。私には場違いだったんだって思う時もありました。
別大への想い
でも、諦めきれなかったのは、別大に出たかったからです。2004年に走り始めて、その頃の別大は女子が走れなかったんです。その印象が深くて、いつか出たいと思っていました。そのために頑張って、とりあえずエントリーができるところにようやくたどり着いた感じです。
運動がトラウマになった理由
2024年シーズンは、ハーフ、フルともに2回PBを出すことができました。年齢的に簡単にPBが出ませんし、そもそも私は運動経験がゼロなんです。小中高と何もしていないですし、跳び箱も逆上がりもできず、体育の授業で悪い見本をやらされて、運動がトラウマになっていたので、社会人になるまで運動はしませんでした。
ランの恩恵
今は、走る時間がとても貴重ですね。家でも仕事でもわちゃわちゃしていることが多いので、走る時は自分に集中できるじゃないですか。朝5時に起きて、1時間ぐらい走って気持ちはもちろん、仕事の段取りとか、ご飯何を作ろうかなとか、頭の整理もできるのでレースだけではなく、日常的に欠かせないものになっています。
―なぜ、走るのですか。
走っている時は、すごく幸せですが、健康な体があって、応援してくれる健康な家族がいないと走れないと思うんです。でも、それは当たり前じゃないんですよね。実は、私も子育てや癌で走れない時期がありました。癌の治療を経て、せっかくもらった命だから健康じゃなきゃできないことをやろうと思って、ランを再開したんです。もう9年もつづいていますが、その間、今日で走るのが最後になるかもしれないって思って走ってきました。自分もそうですし、老いた母や子どもに何かが起きたらその時点でランニング習慣は強制終了です。だから、1回1回の走りがすごく尊いんです。走れない時、走っている人を見てキラキラして眩しいなぁと思っていました。今、私はその眩しいことができるし、運動音痴な自分でも目標を持って走ることができる。それだけでもすごく幸せなことだなと思っています。