RRC member interview
text:Shun Sato

2024ー2025シーズンMVP 小渕美和さん
1期生、フルマラソン完走からのスタート
2004-2025シーズンMVPは、小渕美和さん。完全復帰、自己ベスト更新での受賞は彼女自身はもちろん、美和さんをよく知るメンバーにとってもうれしかったのではないだろうか。
美和さんは、1期のメンバーでマラソン初心者からのスタートだった。
「ちょうとRETOに入ったのが、彼氏と別れて失恋した時だったんです。このまま20代が終わってしまうのかぁ。悲しいなぁ、もったいないなぁって思って何かを全力で楽しもうと思っていたらYouTubeで神野さんのチームがスタートするのを見たんです。アッこれだとフルマラソン完走を目標にランニングを始めたんです」
もともと一度始めるとのめり込み、一生懸命に頑張るタイプ。月2回の練習会に参加し、メンバーに刺激を受けて日常でも走るようになった。1期目の最終日1500mTTを行い、練習会初日の記録から1分半も縮めることができた。
怪我の連鎖
だが、翌日の朝、そこから長くつづいていく怪我との戦いが始まった。
「1500TTの翌日の朝、ベットから起きると足がつけないぐらい強烈に痛くて‥‥。大腿骨の疲労骨折だったんですけど、まだマラソン初心者で疲労骨折とかもよく知らなくて。1500TTする前からちょっと痛かったので痛め止め飲んで走っていたのが行けなかったのかなって思いました」
8月、9月はノーランになり、10月、東京レガシーハーフで復活した。
「この時は整形外科の先生に、えっもうハーフを走るの?って言われたんですけど、普通はそうなんですよ。私は看護師をしているので、その立場だとそんな状況で走るのはあり得ないと思うんですけど、いざ自分のことになると話は別になるんですね(苦笑)。でも、ここで復帰したおかげで翌年(2024年)の名古屋ウイメンズでサブ4を達成することができたんです」
自分が負けたような感覚
だが、7月に入って再び足に衝撃が走った。
「この時も1500TTで、6分切りを目指して走ったんですが、終わって数日して足が痛くて診断してもらうと右腓骨の疲労骨折だったんです。2カ月ぐらいノーランで11月に復帰したのですが、故障上がりで練習していない中、10キロを走って初めて50分を切れたんです。その影響なのかなと思うんですが、今度は右大腿部の頚部骨折をしてしまったんです。この骨折が一番キツかったですね」
何が一番キツいと感じたのだろうか。
「松葉杖で日常生活を送るのも大変だったんですが、それ以上に、少し走れるようになるとこの大会でタイムを出して、このレースでPBを出すみたいな計画を立てるじゃないですか。理想のマラソンシーズンを考えてしまうんですけど、なかなか思い通りにいかなくて‥‥。本当は昨年の名古屋ウィメンズに出たかったんですけど、DNSを決めてみんなを応援しに行ったんです。レースが終わった後、みんなのうれしい顔や悔しそうな表情を見ていたら走らなかった自分が負けみたいに思えてきて‥‥。その時がRETOに入ってから一番つらかったです」
レースを走れない辛さ
レースを走っていない人は、なかなか走った人たちの会話に入れず、話を振られても答えずらいこともある。美和さんも名古屋の打ち上げの席でメニューを見たり、何回もトレイに立ったり、静かに飲んだり、自分が傷つかないように行動していた。悔しい時、悲しい時は隠さず、気持ちをぶつけてもいいと思うが、美和さんはそれができなかった。
「けっこう見栄っ張りですし、いつも明るいキャラクターで自称RETOのアイドルなので、弱い自分を見せたくないというか、周囲に心配かけたくないんですよ。言えば、みんな優しいし、話を聞いてくれたりすると思うんですけど、辛いのは私だけじゃない。みんなもきっとたくさん辛い思いをしていると思うので、甘えることはできなかったです」
ただ、神野大地選手には怪我で走れない時、サブ4を達成した時、名古屋でDNSした時など、自分に折り合いをつけるために手紙を書いた。そうすることで、自分の気持ちを整理できて、また次へと向かうことができたからだ。
ランナー美和のリスタート
名古屋を怪我でDNSしたことで、美和さんは肉体改造に取り組んだ。食事に気を使うのはもちろん、一番力を入れたのはコアトレだった。
「走っている時の動画を見ると、速い人のフォームと自分のフォームがぜんぜん違う。走っていて格好いいランナーになりたいのと、怪我をしないように、身体の筋肉の使い方を含めてコアトレを2週間1回ですけど、始めました」
美和さんが通ったのは、KOBAトレという長友佑都や久保健英ら多くのプロサッカー選手が多く通っているコアトレーニングジムである。美和さんは腰が落ちてしまうので、コアトレを始めて腰高を維持し、同時に下肢のトレーニングをすることで怪我をしにくい体作りを行った。
「おかげさまで、コアトレを始めてから怪我は一切していないです」
レースを無駄にしない
もうひとつ自分のなかで決めたのが申し込んだレースには全部出場するということだ。前シーズンは多くのレースに申し込みをしたが怪我のために走れず、エントリ―費を募金しただけで終わった。「もったいない」と思い、レースに出れば練習の代わりにもなる。ある程度レースを絞りつつもエントリーしたレースにはできるだけ出走するようにした。
復調への足掛かり
怪我明けの復帰レースは、昨年の北海道マラソンだった。厳しい暑さが残るなど厳しいコンディションだったが、4時間27分で走り切った。
「復帰レースだったので、目標は4時間30分切りでした。ゴールが見えた瞬間は鳥肌が立ちましたね。私もRETOのランナーだぞというのを取り戻せた感じでしたし、フルマラソンを走り切れた喜びがありました。ここからまたがんばろって思えたんです」
順調な積み重ね
それからはケガもなく、練習会やタムケン練に参加し、走力を高めていった。手応えを感じられたのは、今年1月のニューイヤーハーフマラソンだった。10月のレガシーハーフから9分短縮して1時間40分20秒で走り切った。髙木聖也コーチからは「折り返しでズルした?」とからかわれたが、「走っていて気持ちがよく、タイムも出たので自信になった」という。その後、乳がんの手術をして一時入院したが、3月の名古屋ウィメンズに出場した。
1年前の雪辱
「オペもあったので、まずは自己ベストを1分でも更新するのが目標でした。でも、タイム的にはサブ3.75を切るペースで走っていて、20キロ過ぎにお姉ちゃんと家族がいたんです。頑張っている姿を見せないと思い、わりと勢いがついたんですけど、28キロぐらいから辛くって‥‥」
30キロすぎには神野大地選手が応援してくれた。「このままいけば40分切れるよ」と言われたが、その時は「無理でしょう。元気づけるために言ってくれたのかな」と思っていた。だが、残り2キロのところでその言葉が現実になりつつあるのを感じ、ラストスパートをかけた。途中、靴の紐がほどけて「くそー」と大声が名古屋ドームの前で響いたが、3時間37分でゴールした。
「サブ4を達成した時は涙が止まらなかったんです。今回は、自己ベストを更新してうれしかったですし、走り切れてよかったんですけど、涙はなかったですね。私の目標は別府大分毎日マラソン(別大)に出ることなので、本当ならここでサブ3.5を切る勝負をしたかったんです。PBですけど、なんか消化しきれないところがありました」
別大へのこだわり
美和さんは、なぜそこまで別大にこだわるのだろうか。
「2年前、応援に行ったんですけど、別大って市民ランナーの聖地みたいじゃないですか。速くてかっこいいランナーを間近で見て、私もここで走りたい。ここで走るランナーの仲間に入りたいって思ったんです。ここに出られたら私も胸張ってマラソンをやっていますって言えるのかなというのが私のなかにあるので」
影のサポート
マラソンランナーとしての向上心が美和さんを駆り立てているが、RETOの年間MVPに輝いたのは、レースの走りだけではなく、RETOへの貢献度も大きい。練習会やタムケン練、合宿に積極的に参加し、練習会では練習前にマーカーを置いたり、回収したり、応援文化は美和さんが発端となって定着させてきた。
「マーカーのお手伝いは、練習で自分の気持ちを作るために置いているんです。タムケンと話ながら今日の練習メニューや最近あったことをいろいろお話ししながらなので、みなさんに感謝されることではないんです(苦笑)。応援もみんなをサポートしてPB更新する力になれたらいいなというのはあるんですが、走れない自分が応援するのは来年、この大会で輝くのは自分だぜと思って、みんなに走る自分を重ねて応援しているので、自分のためでもあるんです」
人生で一番楽しい瞬間
美和さんは、応援してもらったからお返しという考え方もあまり好きではなく、応援は見返りを求めない純粋なもの。だから、RETOの仲間たちの声は家族の声よりも耳に残り、背中を押してくれるという。
「そういう仲間がいるRETOに入って本当に良かったなぁと思います。今、31歳なんですけど、人生で一番楽しいですね。RETOに入らず、マラソンとも出会っていなければ新しい人と出会って結婚して、子どもがいたかもしれない。その方が幸せかなと思ったこともあったんですけど、今が楽しいからいいかな(笑)」
「Challenge is Success」の第7代目コール
マラソンを始める前は美白とスキンケアのために数万円のお金を使っていたが、今は日焼けし、髪の毛もショートになった。職場の人には驚かれることが多いが、師長さんには「今キラキラしているよ」「かわいくなったよ」と言われることが増えた。一方で友人のインスタを見ると結婚や子どもの写真をアップしているのが増えた中、美和さんはマラソンの写真しかアップしていない。「ちょっとなぁと思うところはあります」というが、母親からは「あなたの人生だから好きにしたらいいよ」と背中を押してもらっている。
「だからじゃないですけど、今はマラソンをがんばる時期かなと。頑張れるものがある時は頑張ろうと思っています」
練習会後、集合写真を撮る際、「Challenge is Success」のコールは、結果を出し、RETOに貢献してきた人たちに受け継がれてきた。
美和さんは、その7代目になる。