
「信越は、わたしひとりでは、戦えなかった」-後編
RRC member interview
text:Shun Sato

信越五岳トレイルランニングレース2025
杉田侑菜さん 110km女子 5位入賞
レースの趨勢を決めるバンフ
信越五岳のレースがスタートした。
斑尾高原レストランハイジから始まり、袴岳から妙高高原を経て、黒姫山を周り、笹ヶ峰高原、戸隠山、璃瑠山から飯綱林道を経て、ハイランドボール飯綱まで110キロを走破する。制限時間は22時間、エイドステーションは6か所、選手の家族や友人がサポートできるアシスタントポイントは4か所。90キロを超えた最後には、1748mの璃瑠山山頂が待っている非常に過酷なコースだ。
杉田侑菜さんは、最初のバンフ(11キロ地点)が重要なポイントだと考えていた。
「最初の山を越えた後のバンフまでがこのレースの一番の要だと思っていました。自分の特徴として最初の上りはすごく心拍数が上がって、どう頑張ってもつらいんです。そこを乗り越えるとけっこう走れるようになるのが分かっていたので、このバンフをどれだけ落ち着いて上り、前に離されずにいけるか。順位でいえば入賞ラインの10番以内、タイム的には1時間35分ぐらいで入れば、後半に巻き返せるだろうと計算をしていました」
当日は雨が降り、トレイルがぬかるみ、苦しいレースになると思った。実際、スタートして上り始めると、上から水が流れて来て泥だらけになり、「こんな練習してきてないよ(笑)!」と愚痴ったが、徐々に楽しくなってきた。
「すぐに泥だらけになって、キャーキャー言いながら走っているうちに楽しくなってきたんです。山の中であんなに騒いでいたのは私だけでした(笑)。途中、何人かに抜かれはしたんですけど、その人たちよりも私の方が楽しんでいる自信があったので、バンフに着く前に『焦らなくて大丈夫』、『これ、入賞イケるかも』と思ったんです」

レースプランの変更
まだスタートしたばかりだが、ライバルたちに抜かれ、先がどうなるのか見えないなかで、「イケる」と確信するポジティブなマインドは、どこからくるのだろうか。
「入賞するという目標を見失わず、必要な練習をやるという自分との約束を裏切らず、逃げずに、この日までやって来ました。なのであとは、もうなるようにしかならないと肝が据わった状態でレースに臨めたからだと思います」
入賞は、バンフ地点で順位を確認した時から意識していた。最初は、みんなに順位を教えないでほしいと伝えていたが、調子が良いことに気付き、「これは最初から狙おう」と思って、前後の差を含めて確認した。バンフで杉田さんは1時間32分29秒と予想タイムよりも早く、5位で入り、トップとの差は、わずか56秒だった。

ペーサーと48キロの旅
笹ヶ峰グリーンハウス(62キロ地点)から吉川さんがペーサーとして合流した。エイドで確認したのは、1キロのペースと胃腸の状態、足など痛みを感じる箇所だった。一緒にスタートしてからすぐに、杉田さんは吉川さんに「信越の山、想像以上にきれいだよ。信越、めちゃ楽しいよ」と伝えた。
「走る前、きっちーがすごく緊張しているようだったので、声を掛けたんです。サポート隊のみんなに『杉ちゃんを頼むよ』って言われていましたからね(笑)。二人で走り始めてからしばらくした後、レースに向けて一緒に練習してきたRETOのサトちゃん(田中智子さん)ともすれ違って『きっちー、杉ちゃんを頼んだで!!』と言われていましたし、かなりプレッシャーを感じていたと思います」
途中からテンポよく走れていたが、笹ヶ峰から10キロぐらいで右膝に痛みを感じた。このレース、2度目のトラブルだった。1度目のトラブルは、笹ヶ峰の前、黒姫から笹ヶ峰に行く途中でハンガーノックになった。ハンガーノックとは、エネルギー不足によって起こる低血糖状態のことだ。すでに食はなくなり、ラムネなど食べたが回復せず、フラフラして笹ヶ峰にたどり着いた。それからも何かしら起こることを想定していたが、残り40キロを残しての右膝痛は想定外だった。痛みがどんどん苛烈になり、地面に足をつけないぐらいになった。「きっちーどうしよう…」と聞くと、吉川さんは自分のリュックからテーピングを取り出した。ハサミがなかったので、吉川さんは歯でテーピングを噛みきり、手早くテーピングをして、応急処置を施した。そこから無理せず、少し回復するまで歩いた。
「歩いている間は、この日までの半年を振り返りながら歩いていました。練習の時の方がつらかったなぁとか、なんで入賞するとか言っちゃったんだろう。普通にランナーとして走れば、練習期間中あんなに苦しまなくて済んだんだろうなって思ったりしました」

コナンとアマネのやさしさ
いろんなことを抱え込みながら過ごしていた半年間の練習で救いの手を差し伸べてくれたのが有本周翔さんと小南貴彦さんだった。以前から一緒に走るなどして杉田さんの性格をよく知っていたので、有本さんは猫の写真を送って来て、思考を走ることからそらしてくれた。小南さんは『頑張っているから大丈夫やで』と何度も励ましてくれた。
「ずっとサポートしてくれていたので、絶対に結果で返したい。だから、明日も練習つらいけど頑張ろうと思えたんです」

最後まで諦めない
レースは、夜間パートに入った。吉川さんが振り返りながら杉田さんの足元をライトで照らし続けた。「危ないから前向いて走って」と思うくらい丁寧にライトを灯し、引っ張った。途中、100マイルを走っている選手とペーサーから「優しいペーサーだね」と褒められた。杉田さんは、「本当に自慢のペーサーです」と答え、なんだか誇らしい気持ちになった。
順位経過は、吉川さんが走行中にサポート隊に連絡をして、順位と前後の時間差を聞いてくれていたので、杉田さんは走りに集中できた。笹ヶ峰(62キロ地点)では5位だったが、戸隠スキー場(91キロ)を超えると6位に順位を落とした。
だが、RETOのコーチである髙木聖也さんから”最後まで絶対に諦めちゃだめだよ”と言われていたので、その言葉を思い出し、最後の璃瑠山に挑んだ。身体はボロボロだったが気持ちは負けていなかったので山で絶対に抜けると思い、焦りはなかった。その読み通り、山で抜き返し、5位で飯綱に帰って来た。

感謝のフィニッシュ
歓声に迎えられる中、二人は並んで、ゴールテープを切った。
杉田さんは、吉川さんとハグして喜びを分かち合った。吉川さんは「おめでとう。よくやったね!!」と笑顔で祝してくれた。
「きっちーは、最後まで私にムチを入れることはなく、終始、『大丈夫だよ』、『頑張っているからいけるよ』って声を掛けてくれました。私は、もっとスピードを上げていきたいと思っていたんですが、『ここは大丈夫、歩こう』となだめてくれたり、励ましてくれたりして‥‥。きっちーの優しさと冷静な判断があったから、私は最後まで走れたんだと思います。でなければ途中で走って潰れていたでしょうね」

たくさんの我儘を聞いてもらったサポート隊
吉川さんのペーサーと同時に、サポート隊にも深く感謝した。サポート隊は杉田さんから普段の練習を真面目に取り組む飯山恵一郎さん、自分の無茶振りに何でも答えてくれる小山内真紀さん、トレイルのサポートに絶大なる信頼をおいている功刀眸さんにお願いをした。3人の連携プレーが素晴らしくポイントごとにサポートがブラッシュアップされていく様を見て、感動を覚えたという。
「最初、バンフに着いた時、『私がお願いしたジェルどこ?』ってキツい感じで言ってしまったんです。その時、サポート隊は『ヤバい。杉ちゃんかなりピリついている』と思ったらしく、次の黒姫のポイントでは私が欲しいというものを準備してくれていたんです。でも、長い距離を走ってきたので、違うものが欲しくなったことを伝えると、あちこち探してちょっとパニックになったんですよ。そのせいか、笹ヶ峰では、テーブルの上に私が信越に向けて持ってきたものがビュッフェのように並べられていました(笑)。サポート隊がどんどん完璧になってすごいなと思いつつ、次の戸隠からは、きっちーが必要なものを事前に伝えてくれたので、しっかりと揃えてくれていました。サポート隊にはたくさんのわがままをきいてもらって本当に申し訳なく思いましたし、感謝の気持ちでいっぱいでした。サポート隊なくして完走はできなかったです。改めて信越の110キロはチーム戦なんだなと思いましたね」

3つの軸に加わった「走る」こと
レース後、吉川さん、サポート隊と一緒に写真を撮った。それがチーム戦であることの証でもあった。
このレースがキッカケになって、杉田さんの人生の軸である「サザンオールスターズ」「競馬」「野球」に、「走る」が加わった。
「これまでたくさん走ってきましたが、私にとって”走る楽しさ”が何なのか分からなかったんです。だから、今まで人生の3つの軸に加えたくなったんです。でも、今回、本気で信越に挑戦してみて、私にとって”走ることを楽しむというのは挑戦すること”と気付きました。ロードだけ走っていたら分からない世界が見えましたし、そこに挑む人たちの気持ちを理解できて、人生の幅が広がりました。それはRETOがなければ経験できなかったこと。だから、RETOにはずっとこのままあり続けてほしいと思っていますし、私もRETOで走り続けたいと思います」

















