
僕にとって、走ることは生きること。
RRC member interview
text:Shun Sato

第15クール B+チーム(目標:フルマラソン3時間20分切り)MVP 三木 俊弥さん
ダイエット部でリスタート
今シーズンは、痩せて、みんなに「速くなったね」と言われたことが自分にとって大きなモチベーションになりました。僕が痩せるキッカケになった「RETOダイエット部」は、昨年8月のお盆につっちー(土本優作さん)が、太ってパフォーマンスが落ちた人に声を掛け、理事長(塚本良平さん)、林太郎(林晋太郎さん)、浜義(浜田義行さん)と僕の5人でスタートしました。

現実の体重と向き合う
RETOに入った時は60kgでしたが、2025年春頃にはMAXで68kgまで増え、ダイエット部が立ち上がった時は66.5kgでした。正直、それまで一番向き合うべき「体重」という現実からずっと逃げていました。でも、ダイエット部で体重報告アプリを使って励まし合ったり、11月末の忘年会での結果発表で「逃げ道」がなくなったことで、食生活をガラッと変えて痩せることができました。最終的には11.5kgの減量に成功、自分でも本当にびっくりしましたが、これは自分ひとりではできなかったと思います。

実感した走力アップ
最初に「お、身体が違うな」と感じたのは、2023年から1分更新できたレガシーハーフでした。そこからつくば前のMinatoシティハーフでは1時間26分59秒まで伸ばすことができて、大きな自信になりました。その後の横浜マラソンは、毎年恒例のコスプレで挑んだのですが、当日は雨。水を含んで激重になり(笑)、一番キツく、タイムも出せず、悔しかったです。

快走、つくば
横浜で垂れたイメージが強かった分、つくばマラソンの時は「また途中で足が止まるんじゃないか」という恐怖心がずっと消えませんでした。自己ベストを狙いつつ、内心では「本当に3時間20分を切れるのか」と半信半疑な状態でした。でも、つっちー、径(新沼)さんと一緒に走り、亮(森中)さんたちが合流して、最大6名ぐらいで走って、すごく楽しかった。応援も多かったですし、3時間13分47秒の自己ベストを出せて、非常に満足できました。過去一余裕があるマラソンでした。

体重減で速くなる?
RETOに入る前にすでにサブ3.5を達成していましたが、その後は怪我も重なり、3.5付近のまま3年が過ぎていました。それが今シーズン、Beyondでは3時間07分36秒までいけました。痩せたことで怪我の予防に繋がり、月間300kmを継続できたことが要因だと思います。ただ、あまりの伸びに「本当にこのペースで走れるのか?」と、身体に対して心が追いついていない感覚もあり、100%信じきれないまま走っていました(笑)。

手術の決断
今回、今シーズンのマラソンをこれほど頑張ろうと思ったのには、大きな理由がありました。僕は、指定難病である「若年発症型両側性感音難聴(ACTG1)」を抱えています。これは少しずつ耳が聞こえにくくなっていく進行性の難聴です。現在は聴覚障害6級で、普段は両耳に補聴器をつけていますが、それでも聞き取れないことが多く、日常生活の会話で困る場面が増えてきました。
より聴力の悪い左耳の人工内耳手術を今年6月に受ける決断をしました。当初は「人工内耳は水に弱いから、もう大好きなマラソンは走れない」と思い込んでいました。ランニングは汗をかくし、雨に濡れることもあるので、「走れるのは今年で最後になるかもしれない」という覚悟で、今シーズンに取り組んできたんです。

体内に人工物を入れる恐怖
僕は小6の時に骨肉腫(骨のがん)になり、左肩から肘にかけての骨や筋肉を取り除き、人工関節を入れています(左上肢機能障害3級)。腕を振って走る記憶はもうなく、今の不自由な状態が僕にとって当たり前ですが、走る際は手をぶらりとさせるか、パンツの端を掴んで固定するしかありません。
一度入れると簡単には元に戻せない「異物」を体に入れるリスクや恐怖は、人工関節の経験があるからこそ痛いほど分かります。人工内耳の手術を決めた時も勇気が要りましたし、後頭部に機械が目立つことも嫌でした。それでも、がんの時より、「聴こえにくい」ことが人生においてしんどいと感じたからこそ、手術を決めました。あとで先生から「手術後もマラソンを続けられるよ」と言われた時は、本当に嬉しかったです。

果たすべき3つの目標
今、僕には3つの目標があります。1つ目は200km完走、2つ目は100kmサブ10、3つ目はサブ3です。2020年頃、みゃこさんのプロフィールを見て以来、「打倒!みゃこさん」を目標にしています。これらをこれからひとつずつクリアできたらと思っています。

なぜ、走るのですか。
走ることは、ある意味、自慰行為かなと思ったりしています(笑)。同時に、昨年、青山学院大学の皆渡星七選手が悪性リンパ腫で、21歳の若さで逝去されました。部位は違えど同じ「がん」を経験し、僕は10回の手術を経て生かされました。病気や障害で前を向けず、立ち止まり、死を考えたことさえあります。健康であることは普段忘れがちですが、失ってみて初めてそのありがたさが分かります。僕にとって走ることは、生きること。走ることで健康を実感し、「今を生きている」という感覚を得られるんです。

















