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RRC member interview text:Shun Sato 2024ー2025シーズンMVP 小渕美和さん 1期生、フルマラソン完走からのスタート 2004-2025シーズンMVPは、小渕美和さん。完全復帰、自己ベスト更新での受賞は彼女自身はもちろん、美和さんをよく知るメンバーにとってもうれしかったのではないだろうか。 美和さんは、1期のメンバーでマラソン初心者からのスタートだった。 「ちょうとRETOに入ったのが、彼氏と別れて失恋した時だったんです。このまま20代が終わってしまうのかぁ。悲しいなぁ、もったいないなぁって思って何かを全力で楽しもうと思っていたらYouTubeで神野さんのチームがスタートするのを見たんです。アッこれだとフルマラソン完走を目標にランニングを始めたんです」 もともと一度始めるとのめり込み、一生懸命に頑張るタイプ。月2回の練習会に参加し、メンバーに刺激を受けて日常でも走るようになった。1期目の最終日1500mTTを行い、練習会初日の記録から1分半も縮めることができた。 怪我の連鎖 だが、翌日の朝、そこから長くつづいていく怪我との戦いが始まった。 「1500TTの翌日の朝、ベットから起きると足がつけないぐらい強烈に痛くて‥‥。大腿骨の疲労骨折だったんですけど、まだマラソン初心者で疲労骨折とかもよく知らなくて。1500TTする前からちょっと痛かったので痛め止め飲んで走っていたのが行けなかったのかなって思いました」 8月、9月はノーランになり、10月、東京レガシーハーフで復活した。 「この時は整形外科の先生に、えっもうハーフを走るの?って言われたんですけど、普通はそうなんですよ。私は看護師をしているので、その立場だとそんな状況で走るのはあり得ないと思うんですけど、いざ自分のことになると話は別になるんですね(苦笑)。でも、ここで復帰したおかげで翌年(2024年)の名古屋ウイメンズでサブ4を達成することができたんです」 自分が負けたような感覚 だが、7月に入って再び足に衝撃が走った。 「この時も1500TTで、6分切りを目指して走ったんですが、終わって数日して足が痛くて診断してもらうと右腓骨の疲労骨折だったんです。2カ月ぐらいノーランで11月に復帰したのですが、故障上がりで練習していない中、10キロを走って初めて50分を切れたんです。その影響なのかなと思うんですが、今度は右大腿部の頚部骨折をしてしまったんです。この骨折が一番キツかったですね」 何が一番キツいと感じたのだろうか。 「松葉杖で日常生活を送るのも大変だったんですが、それ以上に、少し走れるようになるとこの大会でタイムを出して、このレースでPBを出すみたいな計画を立てるじゃないですか。理想のマラソンシーズンを考えてしまうんですけど、なかなか思い通りにいかなくて‥‥。本当は昨年の名古屋ウィメンズに出たかったんですけど、DNSを決めてみんなを応援しに行ったんです。レースが終わった後、みんなのうれしい顔や悔しそうな表情を見ていたら走らなかった自分が負けみたいに思えてきて‥‥。その時がRETOに入ってから一番つらかったです」 レースを走れない辛さ レースを走っていない人は、なかなか走った人たちの会話に入れず、話を振られても答えずらいこともある。美和さんも名古屋の打ち上げの席でメニューを見たり、何回もトレイに立ったり、静かに飲んだり、自分が傷つかないように行動していた。悔しい時、悲しい時は隠さず、気持ちをぶつけてもいいと思うが、美和さんはそれができなかった。 「けっこう見栄っ張りですし、いつも明るいキャラクターで自称RETOのアイドルなので、弱い自分を見せたくないというか、周囲に心配かけたくないんですよ。言えば、みんな優しいし、話を聞いてくれたりすると思うんですけど、辛いのは私だけじゃない。みんなもきっとたくさん辛い思いをしていると思うので、甘えることはできなかったです」 ただ、神野大地選手には怪我で走れない時、サブ4を達成した時、名古屋でDNSした時など、自分に折り合いをつけるために手紙を書いた。そうすることで、自分の気持ちを整理できて、また次へと向かうことができたからだ。 ランナー美和のリスタート 名古屋を怪我でDNSしたことで、美和さんは肉体改造に取り組んだ。食事に気を使うのはもちろん、一番力を入れたのはコアトレだった。 「走っている時の動画を見ると、速い人のフォームと自分のフォームがぜんぜん違う。走っていて格好いいランナーになりたいのと、怪我をしないように、身体の筋肉の使い方を含めてコアトレを2週間1回ですけど、始めました」 美和さんが通ったのは、KOBAトレという長友佑都や久保健英ら多くのプロサッカー選手が多く通っているコアトレーニングジムである。美和さんは腰が落ちてしまうので、コアトレを始めて腰高を維持し、同時に下肢のトレーニングをすることで怪我をしにくい体作りを行った。...
RRC member interview text:Shun Sato 第12クール Bチーム(目標:フルマラソンsub3.5)MVP 梅下かおりさん ChatGPTのお告げ PB(3時間29分26秒)を出した大阪マラソンは、本当に体調が悪くて最悪でした。3日前ぐらいからお腹をこわしていたので、ChatGPTに、この状態で走り切るにはどうしたらいいんですかって聞いたんです。1番やめとく、2番ゆっくり走る、3番替えのパンツを持って走る。3番を使う事態になったら完走できても私の社会的な信用はどうなるんだって思ったんですが(笑)、せっかく来たので出ようと。ただ、医療従事者でもあるので、遠征に来て地元の救急医療を逼迫させるのだけはしちゃいけないという気持ちでスタートしました。 35キロでの覚醒 キロ5のペーランでいいやって思って走り、雪が降って寒かったので喉も乾かず、無補給で35キロまで来たんです。そうしたらゆうこりん(長谷部裕子)が「3.5いけるよ」って叫んでいるのが聞こえて、誰の話?って思ったんです。そこから覚醒し、ギアを上げてぎりぎりサブ3.5にねじ込むことができました。たぶん元気だったら逆に片肘張ってダメだったでしょうね。体調が悪いので気楽な気持ちで寝たように走れたのが良かったんだと思います。 8年間の挑戦 サブ4からサブ3.5を達成するまで8年かかりました。2017年のニューヨークシティマラソンでサブ4を達成し、それからずっとサブ4維持で月間200キロのジョギングおばさんを続けていました。でも、2022年の防府マラソンで3時間35分を切って、あっこれはイケるんじゃないって思ったんです。そこからやるやる詐欺がつづいたので、RETOに入れてもらいました。私は、いろんなところからいろんなものをかき集めてやっと1分縮めていく感じですが、RETOの若い子は一気に30分とか縮めるじゃないですか。私には場違いだったんだって思う時もありました。 別大への想い でも、諦めきれなかったのは、別大に出たかったからです。2004年に走り始めて、その頃の別大は女子が走れなかったんです。その印象が深くて、いつか出たいと思っていました。そのために頑張って、とりあえずエントリーができるところにようやくたどり着いた感じです。 運動がトラウマになった理由 2024年シーズンは、ハーフ、フルともに2回PBを出すことができました。年齢的に簡単にPBが出ませんし、そもそも私は運動経験がゼロなんです。小中高と何もしていないですし、跳び箱も逆上がりもできず、体育の授業で悪い見本をやらされて、運動がトラウマになっていたので、社会人になるまで運動はしませんでした。 ランの恩恵 今は、走る時間がとても貴重ですね。家でも仕事でもわちゃわちゃしていることが多いので、走る時は自分に集中できるじゃないですか。朝5時に起きて、1時間ぐらい走って気持ちはもちろん、仕事の段取りとか、ご飯何を作ろうかなとか、頭の整理もできるのでレースだけではなく、日常的に欠かせないものになっています。 ―なぜ、走るのですか。 走っている時は、すごく幸せですが、健康な体があって、応援してくれる健康な家族がいないと走れないと思うんです。でも、それは当たり前じゃないんですよね。実は、私も子育てや癌で走れない時期がありました。癌の治療を経て、せっかくもらった命だから健康じゃなきゃできないことをやろうと思って、ランを再開したんです。もう9年もつづいていますが、その間、今日で走るのが最後になるかもしれないって思って走ってきました。自分もそうですし、老いた母や子どもに何かが起きたらその時点でランニング習慣は強制終了です。だから、1回1回の走りがすごく尊いんです。走れない時、走っている人を見てキラキラして眩しいなぁと思っていました。今、私はその眩しいことができるし、運動音痴な自分でも目標を持って走ることができる。それだけでもすごく幸せなことだなと思っています。
RRC member interview text:Shun Sato 第12クール B+チーム(目標:フルマラソン3時間20分切り)MVP 増本梢さん 白亜の城塞でのPB 昨年、姫路城マラソンでサブ3.5を達成して1年後、同じ姫路城マラソンで20分を切ってPB(3時間18分05秒)を出せたのは、本当にうれしかったです。 無欲の走り レース当日は風邪を引いて、頭がボーッとして鼻も詰まっていたんです。もうPBいかなくてもいいかな。楽しく走ろうでいっか!という感じで緊張もせずに走り出しました。気づいたら10キロを越えていて、ずっとジョグしている感覚で、そこそこのペースで速いけど、どういうこと?って思ってました。アッという間に30キロを超えて、さすがに30キロの壁が来るだろうと思ったらそれもなく、気が付いたら終わっていました(笑)。 姫路との相性 よく、「なぜ姫路なの?」と聞かれますが、実家が神戸なので近いんです。神戸マラソンはコースが凄いので、PBは狙いにくいと聞いていたので、地元の走れる子に聞いたら姫路はPB出やすいって教えてくれました。でも、最初走った時、「普通にキツくない?このコース」と思ったんですけど、相性がいいんですかね。2年連続でPBを出せました。 RETOでの刺激 結果を出せたのは、RETOの練習会のおかげでもあります。ひとりだと自分に甘く絶対に走れないペースで走り、「もう嫌だ!吐きそう」と毎度思いながらやり切って来れたのが一番大きいと思います。うちは、まだ子供が小さいので、合宿とかRETOの練習会以外にはなかなかいけないので、月2回ですけど、刺激を入れられるのがすごく大きいんです。普段も昼間に走れないので、平日は朝4時半、土日は5時半に起きて走っています。朝はしんどいんですが、そういう体の状態で走るとレースの時にラクに感じるのかなと思っているので、自分にムチを入れて走っています。 トライアスリートの父の影響 ランニングを始めたのは、15年ぐらい前です。理由は、ダイエット。それまで水泳をやっていたんですけど、マラソンほどには痩せません。プールの空き時間に合わせないといけないのが嫌だったのもあり(笑) 走るとどんどん走れるようになりレースに出るようになりました。私の父がトライアスリートだったので大会にはよく応援で行っていたので、レースに出るという事に抵抗はなく、軽い感じで草レースに出たらハマりました。 目標達成への執着心 8年間、子育て・育児・仕事復帰、そしてコロナもありサブ3.5を切れないまま毎日が過ぎていきました。それでも続けてこれたのは、シンプルにサブ3.5いつか切ってみたいなぁという気持ちだけでした。最初は年齢のせいにして絶対に無理だろうと思っていたんです。でも、RETOに入ったら同世代の人たちががんばっているし、とても速いんで、刺激を受けて、やってみようと自分と向き合って取り組んだらここまで来れました。同じようなレベルや同世代の人がいることが自分のモチベーションになっていたのです。 自分にプレッシャーを掛けない とにかく、みんなもっと頑張ろうというパワーがすごい。私は、すぐ今より速いとしんどいと思ってしまうので、挑戦しよう!ってなかなか思えなくて。自分の設定タイムと走力に合うチームにコミットするタイプなので、基本的にチームを動かないタイプです。また、大々的にこのレースでタイムを切りますって言えないんです。いうと、それがプレッシャーになってしまうので・・・。今後もコッソリと地方のレースにエントリーをして走って行こうかなと思っています(笑)。 ―なぜ、走るのですか。 ありきたりですけど、人生を豊かにするためです。レースはしんどいですが、走ると仕事の嫌なことを忘れられてリフレッシュできます。色んな問題の打開策を考えることができたり、家庭内のしんどいことの解決策を考えたり、唯一自分ひとりになれる時間なので、すごく貴重です。もちろん、飲むためにも必要です(笑)。走った後のお酒は美味しいですからね。
RRC member interview text:Shun Sato 第12クール A1チーム(目標:フルマラソンsub3)MVP 髙木駿さん 故障からの復帰 静岡マラソンでサブ3(2時間58分15秒)を達成できたのですが、これはもうRETOのみなさんのおかげだと思っています。 昨年、つくばの後、右アキレス腱が痛み出して、治療院や整形外科に行ってもなかなか治らず、最後に行ったのがタムケンさんも通っている内田治療院でした。そこの鍼が効いて1月末の新宿ハーフを90分目標で走り切って、復活することができたんです。静岡は、4分15秒で刻んでいき、途中のスライドでサブ3のペーサーのわたびー(渡部健太)に追いかけられる感じだったので、このままいけばいけると頑張って逃げました。 応援の声に笑顔 みなさんの応援は大きな励みになりました。みんなに応援されるとレースはきついんですけど、その瞬間は笑顔になれるんです。応援のパワーはすごいなって改めて思いました。あと、静岡ではお腹が下がらなかったのが大きいですね。松本マラソンも、その後のつくばマラソンも途中でトイレに行ったのですが、この時は大丈夫でした。2レースとも持参した4つのジェルの内、3つしか採れなかったんですけど、静岡の時は4つ全て採ったんです。ジェルに胃腸が慣れて来て、うまく消化できたのが良かったのかなと思います。 仲間と走るということ 今、自分の走るモチベーションになっているのは、RETOです。 以前は健康目的で、ひとりで走り、マラソンで完走するのを目標にしていました。RETOに入ってからは同じ目標を持った仲間と一緒に走るだけでも楽しいですし、レースではみんなが応援している姿を見て、本当に感動しました。RETOに入れてよかったなと、強く思いますね。 憧れの有馬先生 チームでは僕より年齢が上の人が多く、自分からはなかなかコミュニケーションが取りにくいんですけど、みなさん声を掛けてくれるのがうれしいです。わたびーを始めレベルの高いA+の方々も走る度にアドバイスをくれますし、いろんな人からいろんな影響を受けています。特に有馬(寛之)さんは、仕事の絡みもありますが、走力的に安定してサブ3を出し続けているので自分の目標にしています。静岡の時にも「駿くんならできるよ」とずっと声をかけてくださって、サブ3を達成した時もゴール直後、一番最初にLINEをくれて、それを見て泣きそうになりました。僕は今、医療従事者ですが、税理士を目指していて、すでに試験を終え、あとは実務経験を積むだけになりました。有馬さんには仕事のことでも相談することがありますし、「仕事、手伝ってよ」と声を掛けてくださったり、本当に優しくかっこよくて、足も速くて憧れの大先輩です。 自分らしい走り方 静岡でサブ3を達成した後、みんなから「次はサブエガを目指しなよ」とか、一緒に走った杉(杉田侑菜)ちゃんにも「一緒にサブエガを目指していこうよ」と言われたんですけど、今はエガを目指すのではなく、いかにサブ3を安定して出せるのかを目標にしています。常に高い目標を目指していくよりもまずは足元を見つめながら、みんなと楽しく、みんなに感謝しつつ、自分のペースで走って行きたい。それが今の自分に合っているのかなと思っています。 ―なぜ、走るのですか。 僕は、小さな目標をいっぱい立てて、それを達成していく生き方が好きで、その目標のひとつにサブ3とかマラソンがあります。その目標を達成するためにきつい練習をして、レースに出る。レースを走ること自体、単純に楽しいのもあるのですが、そのプロセスが楽しくて、走ることにハマっています。
RRC member interview text:Shun Sato 第12クール Cチーム(目標:フルマラソンsub4)MVP 楠裕香さん 名古屋でサブ4達成 サブ4(3時間54分04秒)は3回目のマラソンになる名古屋ウイメンズ2025で達成することができました。目標をクリアできたのは、20、30キロのロング走を入れたり、レース前に八丈島のハーフを入れることで課題だった後半の失速を抑えられたからだと思います。 仲間のサポート でも、一番大きかったのは、智世(竹輪)ちゃんのサポートです。「名古屋、引っ張ってあげるよ」って言われて、もらったりぼんのついた帽子をかぶって、スタート地点に行きました。そこで、しいー(椎名啓子)ちゃんに会い、一緒に行こうということになったんです。3人とも同じユニフォームで走っていたので、「サブ4のペーサーが来た」と沿道の人に言われて、うしろを見るとすごい人がいっぱいいて、ビックリしました。 前を向くことに集中 智世ちゃんと一緒に走って思ったのは、時計を見ないで走ることがすごくラクだということでした。私は、心拍数をよく見ていて、上がるとつらくなってしまうんです。でも、今回は1キロのラップを確認するぐらい。エイドや水も全部取ってくれました。脚が攣るのでナトリウムパウダーを採ろうとしたら「量が多いから5キロずつ採ろう」と半分飲んだものを預かってくれて、飲んだらゴミも捨ててくれて、まっすぐ走ることだけに集中できたんです。途中、智世ちゃんが「ひーちゃんとサブ4でゴールしてるの考えたら泣けてきた」と言い出して、私も泣けるやんって思って走りました。本当に致せり尽くせり、智世ちゃんにおんぶにだっこでサブ4を達成させてもらった感じです。 苦手な上りを克服するために マラソンを始めたのは、最初はトレイルの強化のためでした。私は下りが得意なんですが、上りが苦手で、ロードで走力を鍛えないともう伸びないと思ったのです。2024年の目標をロードのレースに出ることにして、ハーフ、埼玉マラソン、富士五湖100キロにエントリーしました。 マラソンを走る覚悟 トレイルは前の選手を一人抜いたらひとつ順位が上がるのですが、それがけっこう大きいんです。でも、マラソンは自分との戦いで、タイムとの戦いじゃないですか。つくばの時、サブ4のペーサーに追いつかれてついていけなくなった時、もうタイムを切れないとショックを受けて、半泣きして走っていました。トレイルは上りだから歩こうとか、けっこう休めるんですけど、そういう違いも感じました。だから、マラソンに対して最初はかなりネガティブでした(苦笑)。私は、一定のペースで走れないのがネックで、かなり上下するので結果、失速するんです。これはひとりでやっていてもダメだ。ちゃんとペーサーについて走る練習をしないといけないと思って、RETOに入ったのですが、それがすごく大きかったですね。 自分らしい目標設定 これからはロードに比重を置くとかはなくて、ロードもトレイルも100%両方楽しみたいと思っています。性格的に中途半端にやるのが嫌いで、自分が決めたことはやり切るのですが、背伸びした目標を立てて、それが出来ないと思った瞬間、嫌になってしまうんです。サブ4を達成したから次はすぐにサブ3.5を目指そうとは思わないですし、トレイルも35キロ走れたら、次100キロと言われても、まず50キロからと思うんです。それが出来たらまた伸ばすみたいに、確実にそこにいけるだろうという目標をクリアしていって、次またできる目標を立てていく。これからもコツコツと積み重ねて行きたいと思います。 ―なぜ、走るのですか。 達成感に中毒になっているかもしれないですね。日々の生活のなかで、マラソンで得られる達成感が一番心地良いんです(笑)。
RRC member interview text:Shun Sato 第12クール A+チーム(目標:フルマラソン2時間50分切り)MVP 花木 翔大さん 1年でサブエガへ 2024年シーズンのスタート時、僕のPBは、3時間18分04秒(東京マラソン)でした。それから1年でつくばでサブ3(2時間53分05秒)を達成し、勝田でPB(2時間53分01秒)を更新、静岡でサブエガ(2時間47分38秒)を達成することができました。まさかエガまでいけると思っていなかったので、びっくりしましたし、本当にうれしかったです。 運命的な出会い 実は、昨年の夏前、腸脛靭帯を痛めて、菅平合宿ではロング走ができない状態でした。整形外科や鍼灸治療院に行ったり、インソールを換えたりしたんですけど、なかなか良くならなくて。そんな中出たトレイルの大会で出会った方と、その週末に行った地元の銭湯で偶然再会し、運命を感じていろいろお話しをしました。そこでパーソナルトレーナーを紹介してもらい、内転筋やハム、お尻の使い方を教えてもらいました。ハムとお尻をうまく使えるようになって、不思議なことに痛みも消えていったので、その翌週に野沢のトレイルに出たんです。聖也さんやタムケンさんに「早いね」と言われるぐらいで帰ってこられたのですが、体の使い方、刺激の入れ方ひとつで痛みがなくなり、これだけ走れるんだと驚きました。 オチャラケキャラを払拭 8期で入った時、径(新沼)さんに「RETOの空気変わりそうなやべぇヤツが入って来た」と言われました。僕は飲み会が好きですけど、飲み会好きのオチャラケキャラだと思われるのは嫌だなって思い、ランでは走れる力があるところを見せたいと思っていました。 ランナーとして自我の目覚め サブエガまで自分を駆り立ててくれたのは、そうした思いとどうせ走るなら本気を出してサブ3をしっかり越えられるランナーになりたいと思ったからです。トレイルで表彰されて、順位を上げていくおもしろさ、タイムを狙っていく楽しさ、そういうのがちょっとずつ上積みされていくことが上を目指すモチベーションになりました。 仲間と反骨心 練習ではトレイルを走ることで距離に対する恐怖心がなくなりましたし、スピード練はRETOの公式練習以外に絵(片山)さんたちがやってくれました。A+の人からアドバイスをもらい、それを素直に受け入れ、一緒にやってくれる仲間がいてくれた環境も大きかったです。それに神野さんに「花ちゃん、サブ3は無理だよ」と言われたので、見返してやるという気持ちもありました。それらすべてがうまくハマってエガに繋がったと思います。 自分と向き合うことの重要性 小さい頃は、しんどいことが嫌いだし、すぐにサボるタイプだったんです。でも、いい大人になった今、きついけど、これをひとつ頑張れば強くなれる。逃げずに自分と向き合うことができるようになったのもエガまでいけた一つの要因かなと思います。それにみんな、いつも応援してくれるし、タイムを出すとほめてくれるじゃないですか。自分に嘘つかずに頑張って結果を出し、それをほめてもらえるのはすごくうれしいですし、ありがとうって素直に言える。周囲のモチベーションが高いですし、その中で一緒に走るのは部活みたいで楽しいですね。そういう環境が今の自分にとってすごく大事です。 ―なぜ、走るのですか。 ランニングは、コミュニケーションのツールであり、人生を楽しむ手段です。RETOに入っていなかったら会えないような人たちと出会って、みんな仕事もランニングもがんばっている。その姿がモチベーションになります。ほんと、周囲のみなさんには感謝しかないです。いつか自分もみんなに刺激を与えられる存在になりたいですね。
RETO TRAIL CLUBはトレイルランニングで目標達成を目指すランナーを募集します。トレイルランニングも含めた月に3回の練習会に加え、不定期開催予定のオンラインセッションや、チームとしてのトレイルレースへの参加、合宿なども予定しています。 チームのファウンダー兼メインコーチを務めるのはRETO RUNNING CLUBでもコーチを務め、トレイルランニング日本代表としても活躍する田村健人。更には、同じくトレイルランニングの日本代表である川崎雄哉選手、高村貴子選手がコーチを務めます。現役の日本代表である3名のコーチ陣が、アスリートとしての挑戦を続けながら、メンバーの目標達成も全力でサポートしていきます。※川崎選手、高村選手の参加は不定期となります。 以下の応募要項をご確認のうえ、RETO TRAIL CLUBで共に目標達成を目指したい方のご応募をお待ちしております。 ■申込みリンク https://forms.gle/QMip1AfYUyhxXbhF7 ■応募条件 ・心身ともに健康で、ランニングに取り組める方 ・目標を持ってトレイルランニングに真摯に取り組みたい方 ・チームメンバーを尊重し、互いに高め合える関係を築ける方 ■第2クール期間 2025年8月〜2025年10月 ■第2クールスケジュール ★トレイル 8月23日(土)9月6日(土)10月25日(土) ★ロード練(スピード練習や距離走を行います) 8月4日(月)8月16日(土)9月11日(木)9月20日(土)10月4日(土)10月9日(木)※練習時間は、平日は19時30分〜21時頃、休日は午前中を予定しています。 スピードやロングランは皇居周辺、駒沢公園、代々木公園などで行う予定です。 基本的にはこの日程で進行させていただきますが、状況に応じて日程や練習内容を変更させていただく場合がございます。あらかじめご了承ください。 ■費用 ¥33,000(税込) ※第2クール期間(2025年8月~2025年10月)分 ※お支払い方法は当選者にご連絡いたします ■募集クラス 募集クラス: チームA:ITRA INDEX 500〜...
RETOが主宰するRETO RUNNING CLUBでは、第14クール(2025年8月から2025年10月)のメンバーを募集します。 クラブのコンセプトは「 FASTER BUT MORE \#速さの奥へ 」。 RETO RUNNNING CLUBには、他のランニングコミュニティ、あるいは即席のランニングイベントとは一線を画すコミットメントとロイヤリティがあります。それを支えているのは、クラブのメンバーは「目標を掲げて走る」という譲れない信念とともに、今の自分より「もっと速く走りたい」というランナーに共通した欲です。ただし、 目標に挑戦することは走るための手段であり、挑戦することで得られる豊かさを同時に求めることを最も大切にしています。 目標に向かって走る姿が仲間との強い繋がりをつくると信じているからこそ、コミュニティではなく「クラブ」という言葉にこだわりを持ち、トレーニングやナレッジ、モチベーションの共有を高いレベルで追求しています。ランナーが目標を掲げ、今の自分が到達できるベストに挑み続けることは、人生を豊かにし、そしてまたその姿に励まされるランナーを生むと考えています。 クラブの理念に共感し、メンバーと共に目標に挑戦することで、さらに充実したライフスタイルを送りたい方のご応募をお待ちしています。 ■申込みリンク https://forms.gle/NKwXyQhmY1Zwj4xp7 ■第14クールスケジュール ☆公式練習会 8月12日(火)8月25日(月)9月8日(月)9月22日(月)10月6日(月)10月20日(月) ※練習時間は、19時30分~21時頃を予定 ※練習場所は、基本的に皇居(二重橋周辺)で行います ☆個別練習会 8月16日(土)8月21日(木)9月18日(木)9月20日(土) 10月4日(土)10月16日(木)※現役のトレイルランナーである田村コーチによる練習会です ※参加される場合は別途費用がかかります ■費用 ¥27,000(税込) ※第14クール期間(2025年8月~2025年10月 ※お支払い方法は当選者にご連絡いたします ■募集クラス A+:sub2:50/A0:sub2:55/A1:sub3:00/A2:sub3:10/B+:sub3:20/B:sub3:30/C+:sub3:45/C:sub4:00...
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